異国の地で自身の野球経験を“伝える”日本人 世界的な野球の普及に向けて

ラオスで選手指導を行っている山本奮(いさむ)氏【写真:豊川遼】
ラオスで選手指導を行っている山本奮(いさむ)氏【写真:豊川遼】

木工の仕事がきっかけでラオスへ そこで出会った“ラオス野球”

 2020年東京五輪で久しぶりに野球が五輪の舞台に帰ってくる。しかし、今後も野球がオリンピック競技として残っていくかどうかは不透明だ。課題の一つとして「世界的な野球の普及」が挙げられる。

 男女ともに世界ランキング1位の日本国内でさえ競技人口の減少が叫ばれて久しい。国内での競技人口の増加と同時に、五輪競技として残していくためにも世界的な競技普及も並行して行う必要がある。そこで、東南アジアに目を向けてみると日本人が普及活動に尽力しているケースが多い。同地域に位置するラオスで選手指導を行っている山本奮(いさむ)氏に話を聞いた。

 6歳から野球を始めた山本氏は中学生までは軟式でプレー。高校は西武台高(埼玉)に進学し、主に二塁を守った。卒業後、一時期は社会人クラブチームに所属し、遊撃手も務めていた。一通りすべてのポジションをこなしており、ユーティリティープレーヤーとしても活躍してきた。

 所属していた社会人クラブチームを退団後、次なる進路を考えていた時、参加した海外での活動が、現在のラオス滞在に繋がっていく。

 野球からはしばらく離れていた山本氏だったが、カンボジアでの学校建設事業に副代表として参加し、その後はその団体が「NPO法人はちどりプロジェクト」を設立。現在も理事として教育支援・就業支援の活動を行っている。その際の学校建設で出会った大工の影響で木工の道に興味を持ち、木工職人の勉強をするために1年間、高山で修行を積むことを決めた。そんなある日、木工職業訓練校でラオスにて木工職業のトレーナーを募集していることを知り現地へと飛ぶことになる。

 そこからは木工職人のトレーナーを経て、現在はJICAが行っている中小企業の海外展開の支援にも尽力している。山本氏がカンボジアで得た経験、想いが今、国際協力という名でラオスの地で形となっている。

1つしかない野球チーム ラオス野球の成長のために

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