「地べたを這いつくばってでも…」元巨人投手→議員になった男からの強烈エール
山本議員はスポーツに力を入れた街づくりを提唱 「プロ野球選手をしている時よりもやりがいがある」
山本「地方議員も年間を通して議会が設けられていて、会社でいう“取締役”的な立場。そうなると“社長”が市長かな。行政側が提出してきたものに関して、事業内容や数字、予算のチェックをする。常日頃から、市民のみなさんの希望、声を受け、現場を見に行って、行政につなぐ役まわり。4年に1回、選挙があるから、自分がやっている活動をチラシや街頭演説で伝える。まぁ、選挙の前だけでなく、やっている仕事をもう少し“見える化”しようとは思っているよ」
やることが多いのは容易に想像できた。賢寿さんはスポーツ振興、子供たちの育成の他にも、高齢者スポーツを一緒にプレーするなど、年配の方に寄り添っていた。要介護率を下げることも目標のひとつのようだ。すごく楽しみながら、議員をやっている印象を受けた。
山本「やりがいはあるよね。プロ野球選手をしている時よりもあるかもしれない」
戦力外通告を受けてクビになった選手、引退を決断した同世代の選手がよく言っているのは、「目標自体がなくなる」ということだ。現役の時はよく「引退した後の人生の方が長いんだからな」と言われていたが、当時は今を生きることで精一杯だった。誰もが一度は目標を見失う。でも、そこからどう立て直すかが大事なんだなと感じた。
山本「プロに入れるまで野球をやったという気持ちの強さは社会に出ても、違う畑でも応用が利くと思うんだ。やりたいことを一から始めればいい。それまで“プロ野球選手になるんだ!”とやってきた“看板”を書き換えて、自分で起業したいとか、こういう仕事に就きたいという気持ちに変えればいい。地べたを這いつくばってでも、探せばいい」
賢寿さんのセカンドキャリア成功法はこういうところにある気がした。本当にそうだなと思う。投手だったら、高いマウンドで投げていた快感が忘れられない人はいっぱいいる。
山本「そこにしがみについてはダメだと思う。プロ野球選手であった過去は、どこかで持っていていいけれど、引きずってしまっては何をやってもうまくはいかない。プロにいた時代って、ちやほやされてきたじゃない? でも、そんなのは、あの世界だけのこと。一般社会ではそんなことはない。再スタートを切るのは時間かかるかもしれないけど、みんな絶対できると思う」
私も最後はDeNAで現役を終えたので、練習場と寮のある横須賀にはお世話になったので、親近感がある。新しい施設も建設されるため、賢寿さんはベイスターズと一緒に街を盛り上げる取り組みも一生懸命、行っていた。巨人での2年間、けがで悔しい思いをして、地元に帰りづらいから日本も飛び出した。でも、今はその過去も受け入れて、胸を張って、仕事をしている。そんな姿を見て、野球人の後輩として、誇らしく思えました。
プロフィール 山本賢寿(やまもと・けんじゅ)1981年4月8日生まれの38歳。神奈川県横須賀市出身。横須賀市立工高(現横須賀総合)、帝京大から03年ドラフト6巡目で巨人入団。05年オフに戦力外通告を受け、引退。1軍登板はなし。その後は一般企業などに勤め、15年4月横須賀市議会議員に無所属で当選。19年4月の選挙でも当選し、2期目に入った。