「やったもん勝ちだから」ロッテ5年目・香月の心に響いた福浦のアドバイス
昨春に左手負傷、復帰後に井口監督から期待の声も「まだ応えられていません」
4歳上の兄の影響で、物心ついた時からバットとボールを手に持っていた。少年野球チームに入ったのは小学1年生の時。中学生になり、ボーイズリーグでプレーするようになった頃には、すでにプロを目指していた。ボーイズリーグの監督に「本当にプロに行きたいんだったら、大阪で自分の実力を試してみるのもいいんじゃないか」と勧められ、地元・福岡を離れて大阪桐蔭高に入学。3年には藤浪晋太郎(阪神)、2年には森がいた。
「マジでこの人達、レベルが違いすぎるってショックでした。早く福岡に帰りたいなって思ったけど、帰る根性がなかったです(笑)。中学まではピッチャーで三振も取ったし、打てばホームラン。あんなに上手くいっていたのに、こんなに野球って楽しくなくなるんやって、完全に挫折しました」
だが、慣れない寮生活で親の有り難みを感じながら、「僕らの代は桐蔭史上最高に弱かったです(笑)」という同期の仲間と「自分たちの代で甲子園に出よう」と奮闘。代替わりした秋の大会では履正社にコールド負けと惨敗したが、3年の夏に甲子園出場、見事優勝を掴んだ。
時間を早送りして、時は2018年3月。開幕1軍を目指し、必死に春を過ごしていた香月は、法政大学との練習試合で二塁にスライディングした際、左手母指の靱帯を損傷してしまった。全治4か月の宣告に「あ、終わったなって思いました」。だが、リハビリを担当してくれた望月トレーナーの支えもあり、怪我をバネに復活しようと決意。地道なトレーニングの結果、予定よりも早い6月に実戦復帰。11月の台湾ラミゴ戦では打撃でアピールし、井口監督から期待の言葉をかけられた。
「秋に監督がいろいろと言って下さって、来年頑張ろうってやってきた。でも、いまだに1軍に呼ばれていないので、まだ監督の期待には応えられていません。『いつでも呼んでください』って思ってますけど、呼んでもらえるまで2軍でバンバン打ちまくります」
勝負をかける今年。「桐蔭史上最高に弱かった」と自認する同期と甲子園優勝を勝ち取った時のように、香月はまた、勝負強さを見せつけてくれるはずだ。
(佐藤直子 / Naoko Sato)