ベンチ外から「精神的支柱」へ ドラフト候補に押し上げた元プロ投手の助言
都市対抗野球に出場する日本通運左腕、横浜高では柳(中日)と同期
13日に開幕する第90回都市対抗野球大会。5年連続44回目の出場となる日本通運でクローザーを務める相馬和磨投手は、今秋のドラフト候補にも名前が挙がる。しかし、準優勝を果たした17年の都市対抗では、ベンチ入りすらできなかった。その左腕がなぜここまで急成長を遂げたのか。そこには、日本ハムで活躍し、昨年から古巣の日本通運に選手兼コーチとして復帰した武田久氏の存在があった。
神奈川・横浜高では柳裕也投手(現・中日)の2番手として甲子園にも出場。当時、柳はチームメートでもありライバルだった。
「柳が背番号1で、自分が10でした。背番号1を付けたいという気持ちはありましたが、柳は大舞台に強くてコントロールもいい。普段は打たないのに、甲子園でホームランまで打ちました。柳のホームランなんて初めて見ました。自分は人がいっぱいで飲まれてしまった。柳には及びませんでした」
卒業後は国際武道大に進学。1学年上にはK-鈴木投手(オリックス)がいた。良き手本として見つめていた。
「大学は寮ではなく一人暮らしだったんですが、アパートが近くて、よく一緒に食事に行っていました。当時から150キロ近い球を投げていて、身長があるので角度もある。上から縦回転のカーブも投げていたので、鈴木さんの投球を見て自分も練習していました」
大学では4年間で5勝を挙げ、中継ぎも務めたが「プロなんて言えるレベルではなかった」と、プロ志望届を提出することはなかった。
「子供のころからプロは憧れでしたが、大学の時は自分の実力では無理だと思っていました。社会人で1年でも長く野球を続けられたらと思い、日本通運に入社しました」
しかし、チームが準優勝した1年目の都市対抗野球大会ではベンチ入りすることができず、大舞台でプレーするチームメートの姿を「うらやましいな」という気持ちで眺めることしかできなかった。転機となったのは昨年、日本通運のOBで日本ハムで通算534試合に登板した武田久氏が選手兼コーチとして復帰したことだ。