【あの夏の記憶】全治1年の重症、それをひた隠しに… 鷹・高橋純平を襲った2015年夏の悲劇

全治3週間とされた肉離れ、実際は完治に1年という重症だった

 前日の雨の影響で、ぬかるみの残るグラウンドでの練習中だった。投内連携の最中、アクシデントは起こる。一ゴロ併殺の練習。ベースカバーに入った高橋は、ショートバウンドになった遊撃手からの送球を掬い取ろうとした。その瞬間だった。「足が開いて、そこで1回伸びた感じになった」。左太もも裏に痛みが走った。

 それで済めば、まだ良かった。悲劇は続いた。その数秒後。高橋がグラウンドに座り込んでいた所に、次のノックの打球が飛んできた。ゴロを処理しようとした一塁手が近づいてくる。懸命に避けようとしたが、間に合わなかった。足が絡まる。重なって倒れ込む2人。次の瞬間、何かが千切れるような音がした。

「ブチッ」

「終わった……と思いました。それまでに経験してきた肉離れとか、疲労骨折とは比べものにならない痛みでした」。尋常じゃない痛みに、ただ事では済まないことはすぐに分かった。病院で受けた診断結果は重度の肉離れ。しかも、1箇所ではなく、一度に3箇所も肉離れしていたという。

 公にされていたのは全治3週間。回復具合によっては県大会の終盤、準決勝や決勝には間に合うものとされていた。だが、実際は違う。医者から告げられたのは、筋肉の修復に3ヶ月、リハビリを経て完治するまでは約1年はかかるとの診断。岐阜県大会どころか、仮に甲子園に出場できたとしても投げるのはほぼ不可能だった。

 ただ、高橋と小川信和元監督は、その怪我をひた隠しにすることにした。「僕が投げられないというのが表に出て他校がそれを知るのは、何1つとして県岐阜商にとってプラスにならない。相手が上から目線で来るだけの材料にしかならない。だから、隠せるところまでは隠し通そう、と決めました」。開会式では何事もないかのように入場行進を行い、試合前のアップも通常通りこなした。足が痛いにも、関わらずだ。

2015年夏に負った怪我は尾を引き続け、痛みがひいたのはプロ1年目の秋になってから…

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY