元鷹・攝津正氏が振り返る、後悔なきプロ人生 引退は「野球人生の寿命だった」
現役生活で「貫き通せた」こと、最も誇りに思うことは…
入団1年目の2009年、2年目の2010年に最優秀中継ぎ投手に輝いた攝津氏。翌2011年からは先発に転向し、2012年には17勝5敗、防御率1.91の好成績で沢村賞にも輝いた。ホールドポイント数が最も多い選手が表彰される最優秀中継ぎ投手が制定されたのは1996年だが、この2つのタイトル、表彰を両方受けたのは、現在までに攝津氏のみだ。
ただ、本人は「そう言ってもらうとありがたいですね。でも、自分の中ではそういうのってないんですよね。無頓着というか、そういうのは後からついてくるとずっと思ってましたし。なので、辞めてそういうふうに言われると嬉しいですよね」と笑う。むしろ、現役生活で最も誇りに思うこととして真っ先に口から出てきたのは、「大きな怪我をしなかったこと」だ。
「小さい怪我とかはありましたけど『もう全然できません』というのはなかったので。ヘルニアにもなりましたし、色んなことはあったんですけど、それを無理したわけじゃないですけど、自分の中では動けるうちはケガじゃないと思っていたので。(体の状態を)維持するには自分で体調管理もしなきゃいけないですし、個人的に身体のケアも病院とかで見てもらったこともありますし、すごく気を使っていました。そういう部分ではそこを貫き通せたのがいいのかなと」
誰よりも体のケアに気を使い、プロとしてコンディション管理を行ってきた。それでも、晩年は「歩くのもきつい」状態になるほど体は悲鳴を上げていた。そこまでやりきったからこそ、1つの悔いもなく現役生活に別れを告げられた。そして、今は解説者の仕事に加えて趣味の釣りやゴルフを精力的にこなすなど、次の道に進むことができている。
球史に名前を刻んだ攝津氏。“求道者”の第二の人生での活躍にも注目が集まる。
(Full-Count編集部)