西武平井の登板ペースは歴代最多に匹敵? 久保田、藤川、浅尾らと比較

「火の玉ストレート」で大ブレークを果たし現在も活躍する阪神藤川

〇藤川球児投手(2005年)

7月末時点:54試合 4勝1敗35ホールド39HP 63.1回 92奪三振 防御率1.14
年間成績:80試合 7勝1敗46ホールド53HP 92.1回 139奪三振 防御率1.36
タイトル:最優秀中継ぎ投手

 現在、シーズン登板数のNPB記録を保持しているのは久保田氏だが、その2年前に当時のNPB記録を塗り替えていたのが、同じく「JFK」の一員だった藤川だ。それまでは2004年の26試合が自身最多の登板数となっていたが、後に「火の玉ストレート」と呼ばれるようになる剛速球を武器に、2005年に大ブレイクを果たす。

 5月には13試合に登板して防御率0.00という素晴らしい内容を見せ、前半戦が終わった段階では先述の久保田氏を上回る素晴らしい成績を記録。これだけ登板を重ねながら4カ月間の月別防御率は全て1点台以下という素晴らしい安定感もさることながら、63回1/3で92個の三振を記録した奪三振能力は圧巻だった。

 まさに大車輪の働きだった前半戦に比べると後半戦はやや登板ペースを落としたが、月別防御率は最も悪かった9月でも2.81で、それ以外は全て1点台以下と最後まで安定感を保ち続けた。チームのリーグ優勝にも大きく貢献し、自身の知名度も一躍全国区に。藤川にとっては後の活躍へとつながっていく、まさに大きな転機となる1年だった。

〇浅尾拓也氏(2011年)

7月末時点:42試合 3勝2敗21ホールド24HP4セーブ 44.1回 54奪三振 防御率0.61
年間成績:79試合 7勝2敗45ホールド52HP10セーブ 87.1回 100奪三振 防御率0.41
タイトル:最優秀中継ぎ、セ・リーグMVP、ゴールデングラブ賞(投手部門)

 中継ぎ投手としてはNPB史上初となるリーグMVPとゴールデングラブ賞を受賞した、2011年の浅尾氏の投球はまさに圧倒的だった。この時期は統一球の影響でリーグ全体の打撃成績が大きく低下していたが、その中でも浅尾氏の投球内容は卓越していた。快速球と高速フォークで並みいる強打者たちをねじ伏せ、年間15四球という数字が示す通り制球力も抜群だった。

 浅尾氏はセーブ数が示す通りに時折試合を締めくくる場面も挟みつつ、年間を通してリリーフ陣の大黒柱としてフル稼働を続けた。前半戦を終えた段階で42試合に登板して防御率は0点台と、まさに絶対的な存在として君臨。NPB史上最多のシーズン47ホールドを記録した前年(2010年)を上回る投球内容を見せ、当時のチームが見せていた「守り勝つ野球」の中心を担った。

 浅尾氏の快進撃は後半戦に入ってもとどまることはなく、8月に14試合で11ホールド、9月に14試合で10ホールド(13HP)と、ハイペースで数字を積み重ねていった。年間で記録した自責点は4、8月以降は自責点わずかに1と、シーズンを通して驚異的な安定感を保ち続け、チームの最大10ゲーム差をひっくり返しての大逆転優勝の立役者の一人となった。

「神様、仏様、稲尾様」と称された1958年の日本シリーズでの4連投4連勝

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