球児の夢を応援―“奇跡のバックホーム”が変えた運命 松山商OBの右翼手の今
奇跡のバックホームを知らない世代、子供たちは動画で地元の英雄のプレーを確認
時は流れ、中継の映像のクオリティは高くなっている。設置するカメラの台数は増え、人手も必要となれば、製作費もかかる。例え、ニーズがあっても採算が合わなければ、コンテンツの提供はできなくなってしまう。取材スタッフも大事だが、営業マンの奮闘がなければ、夏の風物詩が県内のお茶の間に届かない。
それを支えているのが、今の矢野さんの仕事でもあり、「いいものを作る」というプライドでもある。
40歳になった矢野さんは2人の子供がいるパパでもある。休日は家族で過ごす他、母校の中学や、松山商の同級生が指導する少年野球チームに教えに行ったりしているという。父親になった年齢だからこそ、伝えたいこともある。今の子供たちは、球史に残る“奇跡のバックホーム”をリアルタイムでは知らない。だが、親の世代はほとんど知っている。指導に来た矢野さんが紹介されるとざわつくのはどちらかといえば、保護者の方だ。そんな甲子園Vメンバーから、アドバイスや背中を押されれば、子供たちだって嬉しいはず。矢野さんは野球への感謝を持ちながら、愛媛の子供たちのことを考えて、仕事をしていた。
「奇跡のバックホームの!と紹介されるんですが……そこはもう完全にネタで使われています(笑)。子供たちも知らないのですが、今はYOUTUBEで映像を1回は見てくれていたりしているみたいで……。子供たちの前でいきなり、偉そうなことは言えないので、野球をする上での気持ちの持ち方とか、監督、コーチの言う事をしっかり聞くんだよ、とか話をしています。野球を好きでいてほしい、と。激励という感じですかね」
野球をする上での気持ちと監督の思い――。矢野さんは自身の野球人生を凝縮し、短い言葉に思いを込めた。あのバックホームが実現するまでには、「野球を辞める寸前だった」と振り返る大きな苦悩が高校時代にあったからだった。
(次回に続く)