万年最下位から世界一へ 「ミラクル・メッツ」から50年目 快進撃の再現なるか
ニューヨークに生まれたお荷物球団「まだこのような負け方があったのか」
今年はメッツがワールドシリーズ初優勝を飾ってから、ちょうど50年目になる。球団創設から8年目の1969年。誕生間もないお荷物球団が一気に頂点に立った。「ミラクル・メッツ」に地元ニューヨークは大騒ぎ。パレード当日の天気予報は「晴れ、ところによって紙吹雪」と粋なことが言われたものだ。
メッツはニューヨーカーが待ち望んだナ・リーグの球団だった。1957年のシーズンを最後にジャイアンツとドジャースが西海岸へ移転。ニューヨークにはア・リーグのヤンキースしかなくなってしまった。そこへ1962年、メッツが生まれたのだった。
最初の指揮官はヤンキースで7度ワールドシリーズを制したケーシー・ステンゲル監督。だが、この名将をもってしても戦力不足のチームは低迷した。来る日も来る日も負けばかり。熱心なファンは「これだけ負けているのに、まだこのような負け方があったのか。なんてクリエイティブなチームだ」と、呆れを通り越して感心したという話が伝えられている。
1年目の成績は40勝120敗1分けの史上最低勝率。優勝したジャイアンツに60.5ゲームもの大差をつけられた。投手陣の勝ち頭は10勝のロジャー・クレイグ。ただし、この年最多の24敗を喫した。なおこのクレイグ、スプリット・フィンガード・ファストボールの生みの親として知られている。
2年目以降も浮上の気配は見えない。1968年までの7年間で、ナ・リーグ10球団中9位が2度、10位が5度という有り様だった。