大野雄大でなんと6人目 中日のノーノー達成、平成以降は12球団でダントツ
平成以降は実に6人が達成、巨人や阪神の3人より遥かに多い
1943年10月12日の大和戦では、のちに太平洋戦争の神風特攻隊で殉死した石丸進一が達成。これが中日で2人目の快挙だった。その12年後、1955年5月10日の国鉄戦では杉下茂が成し遂げ、これが球団名が「中日」となってから最初のノーヒットノーランだった。
1964年8月18日に中山義朗が巨人戦で達成すると、しばらく中日からのノーヒットノーランは出なくなる。そこから23年のブランクを経て、久々の快挙を達成したのが近藤真一。1987年8月9日の巨人戦で、プロ野球史上唯一の偉業となる初登板ノーヒットノーランを達成している。これが昭和最後のノーノーだった。
平成に入ると、中日勢は小刻みに達成者を出している。1996年8月11日の巨人戦で野口茂樹、2000年4月7日の横浜戦でメルビン・バンチ、2002年8月1日の巨人戦で川上憲伸、2006年9月16日の阪神戦で山本昌、そして2013年6月28日の横浜戦で山井大介と5人が達成。初の達成となった大野雄を含めると、平成以降で実に6人が成し遂げている。
平成以降のノーヒットノーラン達成者は計25人で、中日の6人は12球団でトップ。歴代達成者数でトップの巨人は、平成に入って以降は槙原寛己(完全試合)、杉内俊哉、山口俊の3人。阪神やヤクルトも3人で中日はダントツの数となっている。2リーグ制後の10人も、巨人の9人を抜きトップとなった。
(Full-Count編集部)