サイクル安打を2度達成した“ジャーニーマン” ウエストレイク氏が98歳で死去

ミュージアル氏(左から3人目)らとともにカージナルスでもプレーしたウエストレイク氏(左から2人目)【写真:Getty Images】
ミュージアル氏(左から3人目)らとともにカージナルスでもプレーしたウエストレイク氏(左から2人目)【写真:Getty Images】

パイレーツを皮切りに、メジャー計6球団でプレー

 パイレーツなどで10シーズンにわたってプレーし、2度のサイクルヒットを記録したほかオールスターにも出場した強打の外野手、ウォリー・ウエストレイク氏が9月6日、死去した。98歳という高齢だった。

 ウエストレイク氏は1920年11月8日にカリフォルニア州に生まれ、カリフォルニア州サクラメントの高校を卒業後、40年にブルックリン・ドジャースとマイナー契約。翌41年はドジャース傘下ではないマイナーチームに派遣されるも、43年から45年までは兵役に就く。復員後はパイレーツに移籍。47年に26歳でメジャーデビューを果たした。

 当時のパイレーツは、ラルフ・カイナ―、ハンク・グリーンバーグというのちに殿堂入りするスター選手が中軸を打っていたが、ウエストレイク氏はこれに続く6番打者として1年目から17本塁打69打点、打率.273をマーク。主に右翼を守った。この年の8月26日のブルックリン・ドジャース戦の2回には、ドジャースの2番手投手、黒人のダン・バンクヘッドに遊ゴロに倒れたが、これは黒人投手がメジャーで挙げた最初のアウトとされている。翌年以降もレギュラー外野手として安定した成績を挙げる。

 51年6月には、のちに野球解説者として大成功を収める捕手のジョー・ガラジオラらとのトレードで、カージナルスに移籍。オールスターにも選ばれた。オールスターでは、チームの至宝、スタン・ミュージアルに代わって9回に外野の守備固めで出場した。

 52年5月には殿堂入りの大打者ジョージ・シスラーの子で好打者のディック・シスラーらとのトレードでレッズへ、さらに8月にはインディアンスに移籍した。54年、インディアンスがニューヨーク・ジャイアンツに敗退したワールドシリーズでは、2試合に出場して1安打を放っている。

 以降はチームを渡り歩くジャーニーマンとなり、オリオールズ、フィリーズでプレー。56年8月にフィリーズをリリースされた。その後西海岸のマイナーチームでもプレーしたが、同年に引退。35歳だった。

 MLBでの10シーズンの通算成績は、958試合3117打数848安打127本塁打539打点、打率.272だった。パイレーツ時代の48年7月30日のドジャース戦、翌49年6月14日のボストン・ブレーブス戦でサイクルヒットを記録した。

 10歳年下の弟、ジム・ウエストレイクもフィリーズで1試合だけ出場。兄弟メジャーリーガーだった。ジムは49年10月、サンフランシスコ・シールズの日本遠征に参加。巨人との第1戦の3回に別所毅彦からこのシリーズ第1号となるソロ本塁打を放っている。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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