「メンバー外」後に自己最速147キロ 大阪桐蔭“控え投手”の苦悩と希望

苦しみから開放してくれた西谷監督の言葉「これ以上、下はないから。思いっきり」

 思い切り腕を振ることができず、一時は球速が100キロも出なかったという。昨秋は練習試合でチャンスをもらうも、投げ切れたのはわずか1イニング。メンバーに入ることもできなかった。選抜出場を逃した長い冬は、コーチらとフォームの追求に明け暮れた。そんな苦しむ河野を解放してくれたのは西谷監督の言葉だった。「これ以上、下はないから。頑張って思いっきり投げてみろ」。

 背負っていたものが軽くなった河野の投球はみるみるよくなっていった。「最後の夏は思い切って投げよう」。しかし、そこは競争の激しい大阪桐蔭。最後の大阪府大会もベンチ入りメンバーから外れた。同時にどこか自分自身の“リミッター”も外れた。7月中旬には、学校のブルペンで147キロを計測するまでになった。夏の甲子園出場が決まれば、逆転でベンチ入り――。そんな期待を周囲に抱かせるだけの成長があった。

 ただ、結局、憧れのTOINのユニホームに背番号をつけることはなかった。それでも河野は「後悔はない」と爽やかに3年間を振り返る。

「苦しい時期もあったんですけど、野球をやるうえですごくいい環境でできていて、今はめちゃくちゃ投げるのが楽しい。今、振り返ると楽しかったです」

 野球のことを考えるのも嫌になる時期もあったというが、トレーニングを欠かさなかったこともあり、今では184センチ、89キロ。黙々とグラウンドを走る姿に「あの子いいね」と、スカウトも唸るほど。球速アップやプロ顔負けの体格それら全ては河野の努力が作り上げたものだ。

 母からの手紙も公式戦のマウンドに上がることのなかった河野を支えてくれた。「自分が野球できるのはお母さんとかお父さんのおかげ。ここ(大阪桐蔭)に来られたのも自分の実力だけではないので。感謝じゃないですけど、諦めたら何も残らないし、最後にやりきる、ダメもとでも最後までやりきるという気持ちでやっていました」。両親への感謝を素直に伝えられるまっすぐさも河野がこれからさらに成長する可能性を感じさせる。

「苦しい時期があってそれより下はないと思うんで。これからは、思いっきりどんどん真っ直ぐをキャッチャーのミットを目がけてやっていくというのは自信を持って、言えます。最終目標は絶対にプロっていうのを掲げてやっていきます」

 高校で花は咲かなかったかもしれないが、つぼみはしっかりとできたはずだ。投げる楽しさを覚えた河野は4年後、きっと大輪の花を咲かせるだろう。

【動画】必見の147キロサイド右腕! 大阪桐蔭での実際のブルペン映像…なぜ今“自己最高”の投球ができているのか

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