甲子園春夏連覇左腕の元鷹・島袋 第2の人生は会社員に「将来は母校の指導者」
球団からセカンドキャリア打診も「外の世界に出てみようと。一度飛び出してみようと決意しました」
――あえてそれを受けなかったのは何故ですか?
「僕もこのメーカーの用品にお世話になっていました。またホークスでやるという選択肢もゼロじゃなかったですけど、一度、外の世界に出てみようと。お世話になった球団ですけど、一度飛び出してみようと決意しました」
――なぜこの会社を選んだのでしょう?
「1年目の時に社長と知り合わせていただきました。その方からは現役時代から常に連絡をもらっていました。戦力外になった時にも気にかけていただいたんです。使っていた側として性能も分かっていますし、それに自分は助けられてきました。ずっと僕のことを気にかけていてくれた人でもありますので、この会社に入って学びたいと思いました」
――会社員という道を決断した。
「将来的には母校の指導者として戻りたいという気持ちがあります。それまでに自分に何か武器を作って、沖縄に帰りたいという思いがある中で、今回こういう風に東京に出てきて、仕事に携わっていこうと思いました」
――将来は指導者になりたい。
「将来的には僕が経験してきたことを、野球だけに限らず良い時も悪い時も色々経験できたので、それを沖縄の野球をやっている次の世代に伝えていけたら、何かしら沖縄の野球に携わりたい、貢献したいという思いが強いです」
――それまでに多くのことを学ぶための決断ですね。
「そんなに長く東京にいることはないと正直思っています。いろいろ教わっている段階。どんどんモノにして、沖縄に帰れたらと思っています。5年以内で1つの形を残して、というのは考えています」
――いま、目の前に置いている目標はありますか。
「この会社を僕が後押しできるように、1日でも早く今の仕事を覚えることが目標です」
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)