清原和博氏、監督で背番号「3」復活も…「70番をつけたかった」 恩人への思い吐露

ワールドトライアウトの監督を務めた清原和博氏【写真:編集部】
ワールドトライアウトの監督を務めた清原和博氏【写真:編集部】

「ワールドトライアウト」で監督デビュー「自分が若い時を思い出しました」

 公開トライアウト「ワールドトライアウト2019」が30日に神宮球場で行われ、プロ野球通算525本塁打を誇る清原和博氏が監督デビューを飾った。この日は西武時代につけた背番号「3」で登場。しかし、試合後には「本当は70番をつけたかった」と明かし、恩人の故・仰木彬氏への思いを改めて明かした。

 試合形式で行われたトライアウトでベンチに入り、選手交代などを告げた清原氏。終了後の会見では「初めてこの話をいただいた時に、嬉しさと興奮と本当に自分でいいのかという気持ちでした。この11月30日まではずっと不安でしたが、今日、若い選手と一緒にやることによって、肩書は監督という肩書をいただきましたが、本当に若い選手がグラウンドでプレーする姿を見て、自分が若い時を思い出しましたし、若い選手たちが野球界をどんどん盛り上げていったほしいなと思いました」と振り返った。

 この日は西武時代につけた背番号「3」が復活。ファンにとっても特別な光景となったが、清原氏は「実はですね、この監督の話をいただいたときに僕は70番をつけたかったんです。彼のミスで3番になったんです」と同席した田中COOを見ながら意外な事実を明かした。その裏には、恩人への特別な思いがあったという。

「監督という肩書が初めてだったものですから、監督といえばやっぱり自分が彼らと同じように野球ができない状況になった時に、お声をかけていただいた仰木監督の70番という背番号をつけてみたかったなと思っていました」

 巨人を戦力外となり、オリックス入りした際の恩をずっと忘れずにいる清原氏。今後、またどこかの舞台で「監督」という肩書が着くときには「70」をつけることになるのかもしれない。

(Full-Count編集部)

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