イチロー氏を支えたバット職人 天才打者との秘話と「軟式用バット」の夢
バットクラフトマン名和民夫さん「『特に問題ないですよ』と言っていただいたことが印象深いです」
今年3月のアスレチックスとの日本開幕戦後に現役引退を表明したイチロー氏(マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)。メジャー1年目の01年に史上2人目のMVP、新人王を同時受賞。04年にシーズン最多262安打、10年連続200安打を記録するなど輝かしいキャリアを積んできた。その希代のバットマンを支えてきたが、スポーツ用品製造会社「ミズノテクニクス」のバットクラフトマン、名和民夫さんだ。
高校球児だった名和さんは85年3月13日に入社。ゴルフクラブ製造、物流業務を経て、93年にバット製造課に異動。イチロー氏の担当だった久保田五十一さんの下でバット職人としての修業を積み、イチロー氏のバットを担当するようになった。
「久保田さんから仕事を引き継がさせていただいた時に、久保田さんからいろんなことを話を聞かせていただいて、毎年毎年、帰国された時にお話を伺わせていただいてました。『今年のバットの調子はどうでしたか?』とお聞きした時に、『特に問題ないですよ』と言っていただいたことが印象深いです。問題があってはいけないんですけど、イチローさんに問題なく使っていただける。『最低限の仕事ができたんだな』と毎年思わせていただいたのが、非常に印象に深く、ありがたいことだなと思っています」
バットへの要求が厳しいことでしられているイチロー氏。名和さんは毎オフ、自主トレ先であるほっともっとフィールド神戸などで意見を交わしていたが、「毎回緊張します」と振り返る。そんなイチロー氏が現役生活に別れを告げた。名和さんの心にはイチロー氏への感謝の思いが占める。