元日ハム・ソフトボーイ大嶋匠さん、“難関”公務員試験合格「元プロでもやれる姿を」
8/247……倍率30倍の群馬・高崎市職員採用試験に合格「世のため、人のためになる仕事がしたかった」
早大ソフトボール部出身で、元日本ハムの大嶋匠さんが12月上旬に群馬・高崎市の職員採用試験に合格。経験者採用枠の申込者247人から8人合格という“難関”を突破し、来年4月から正規職員として第2の人生をスタートさせる。大嶋さんは「世のため、人のためになる仕事がしたかった。元プロ野球選手でもやれるんだ、という姿を見せたいと思います」と意気込みを語った。
高校時代からの夢を叶えた。ソフトボール球界は役所チームに強豪が多く、群馬・新島学園高時代から漠然と「役所で働きたい」という憧れを持っていたという。昨年10月に日本ハムから戦力外通告を受け、7年間の現役生活に終止符。チームでも“愛されキャラ”だった29歳は日本ハム球団だけでなく、大手保険会社や大学ソフトボール監督、東京五輪関係者からも仕事の誘いがあったが、公務員は4学年下の弟・翼さんが高崎市役所に勤務していることからイメージしやすかった。引退した1か月後の同年11月に高崎市役所の採用試験を受験することを決意した。
今年4月から高崎市の臨時職員に採用されて週5日働きつつ、毎日3、4時間の猛勉強の日々。6月からの1次、2次、3次試験を突破した。「高崎市の筆記試験は1時間で120問を解く試験でした。(科目は)数学や国語、社会、理科、英語……。1つ1つの問題は難しくないんですけど、時間がない。もう受けたくありません」。申込者247人で合格者はたった8人。倍率30.9倍という難関試験だった。
プロ野球という華やかな世界とは全くの畑違いで、献身的な職務が多い公務員。勤務部署は3月末に決まるが、臨時職員として働く今も充実感を感じている。
「世の中の仕組みがこうなっているのかと毎日勉強になっています。それに(引退後は)人のためになる仕事がしたいと思っていました。現役最後の18年は2軍生活が長かったんですけど、チームは高卒で自分より若い選手が多い。腐った態度は見せないで、いい姿を見せたいと思ってやってきました。その姿勢を見てくれる人たちがたくさんいて、そこに、すごく充実感を感じたんです。自分のためより人のためにやることに」
「担当スカウトだった(現スカウト部長の)大渕さん、(日本ハム時代の)コーチだった高橋信二さんが喜んでくれたのが、すごく嬉しかったです。ずっと気にかけてくれていたので。あと、今年初めてゴールデンウィークを経験して。今まで練習で、そんな連休なんてなかったですから。特に今年は10連休。最高でしたね」
臨時職員ながら母校・新島学園OBがメンバーの主体となる高崎市役所ソフトボール部に所属している。週3回の練習。もちろん大嶋さんは強打の主軸打者だが、現役時代の捕手ではなく、一塁でプレーしているという。「全然打てないですよ。(野球に)慣れちゃったんですかね。ソフトボールは難しいですね。でも、学生時代にやっていたメンバーが多くいて……。その再会が嬉しいです」。プロ野球界への恩返しの思いもある。
「プロ野球選手のセカンドキャリアが注目されてますけど、野球関係の仕事に就く人は多いと思います。(野球界の)流れもわかるし、仕事のイメージしやすいんだと思います。そんな中で、僕は『元プロ野球選手でも(役所で)やれるんだ』というのを見せられるようにしたいです。同じ公務員でも消防署や警察官として働く人はいますが、もしかしたら、自分に続いて役所で働きたいという人が出てくるかもしれないですし」
早大ソフトボール部出身という異例の経歴から日本ハムで7年間プレーしてきた。プロ野球選手のセカンドキャリアへ光を照らすべく、第2の人生でも大志を抱く。
◇大嶋 匠(おおしま・たくみ)1990年2月14日、群馬・前橋市生まれ。29歳。小3から軟式野球を始め、中高一貫の新島学園中でソフトボールに転向。同高では高校総体、国体優勝。世界男子ジュニア選手権3位。早大では08年、U-19全日本の4番を務め、10年のU-23ワールドシリーズで優秀選手賞。11年ドラフト7位で日本ハム入りした。3年目の14年に1軍初昇格初出場。5年目の16年5月31日のヤクルト戦(札幌ドーム)ではプロ初安打を記録した。18年は2年ぶりに1軍昇格も2試合出場にとどまった。通算成績は15試合出場で18打数3安打の打率.167、1打点。右投左打。
(小谷真弥 / Masaya Kotani)