【野球と記録】野球はなぜ「記録のスポーツ」に? 独自のデータを解析、配信する民間企業が誕生
記録集などの発刊で1980年代に関心が一気に高まる
戦後、プロ野球は国民的な人気スポーツとなる。そんな中で「野球の記録」への注目度は高まった。毎年の投打のタイトル争いや打者の通算安打、通算勝利などの記録が連盟から発表され、野球ファンの関心を呼んだ。
こうした公式記録の作成、管理には機構の正社員である公式記録員が携わったが、そのトップには戦前から野球規則、記録の制定に関わった山内以九士、広瀬謙三がいた。
1960年代に入って新聞の紙面が増大するとスポーツ面も充実。毎日「打撃10傑」などの成績が掲載されるようになった。これらも公式記録員が集計したデータが提供された。
戦後のプロ野球の発展に伴ってスポーツ新聞も発刊された。一般紙よりも詳細な情報が売りのスポーツ紙は、記録面も充実していた。日刊スポーツは、試合経過がわかる「日刊式スコア」を考案した。スポーツ新聞各紙には記録担当記者も配置されるようになった。
宇佐美徹也は一般企業に勤務した後パ・リーグ記録部長の山内以九士に師事して公式記録員となる。1964年、山内が定年退職すると宇佐美は報知新聞に転職。記録部長として多くの「記録記事」を書いた。
宇佐美は野球記録に関する著作も多く手がけたが「ON記録の世界」(読売新聞社)は、長嶋茂雄、王貞治の全打席をデータ化した金字塔ともいうべき本だった。
また宇佐美は「プロ野球記録大鑑(講談社)」も刊行。さらに小、中学生向けに「プロ野球全記録(実業之日本社)」を刊行。これらが発刊された1980年代から「野球記録」への関心度は一気に高まった。宇佐美徹也は「記録の神様」とよばれるようになる。
セ・パ両リーグは公式記録員が集計したデータをもとに記録集グリーンブック(セ)、ブルーブック(パ)を刊行。さらにNPBは両リーグの記録をまとめた「オフィシャル・ベースボールガイド(共同通信社)」も発刊していた。