金田正一、バッキー、竹中雅彦、元楽天ファンミル… 2019年この世を去った野球人【後編】
バッキーは阪神でNPB通算100勝80敗1596回2/3、防御率2.34
今年世を去った野球人を、7月以降も見ていこう。昭和野球史を彩った人たちだ。
○グレン・ミケンズ(7月9日 88歳)近鉄元投手
1953年ドジャースでプレー。キャリアの大部分をマイナーで過ごしたが、1959年近鉄に入団。2年連続2桁勝利を挙げるなどエース級の働き。NPB初の「1球勝利」も記録した。MLB通算0勝1敗6.1回、防御率11.37。NPB通算45勝51敗908回2/3、防御率2.54。オールスター出場2回。
○ルーク・ファンミル(7月28日 34歳)楽天元投手
オランダ出身。2005年にツインズとマイナー契約するもメジャー昇格はならず。2014年に楽天入団。しかし1シーズンで退団。身長216センチはNPB史上最高身長。NPB通算0勝1敗8回2/3、防御率4.15。オランダでプレーしていたが交通事故で死亡。
○鎌田実(8月1日 80歳)阪神、近鉄元内野手
洲本高から1957年阪神に入団。名二塁手として活躍。打っては2番打者としてつなぐ打撃。近鉄を経て阪神に復帰。引退後は阪神、近鉄コーチ、解説者。NPB通算1482試合4451打数1041安打24本塁打264打点84盗塁、打率.234。
○岩郷泰博(8月2日 75歳)巨人元内野手
高知商から1962年巨人に入団。1シーズンだけプレーし、翌1963年退団。NPB通算5試合5打数1安打0本塁打0打点0盗塁、打率.200。
○佐藤茂富(8月19日 79歳)砂川北高、鵡川高元監督
岩見沢東高から北海道学芸大を経て栗山高監督に。71年に砂川北高監督になり甲子園出場3回、97年に鵡川高監督となり甲子園出場3回。北海道野球界を代表する名伯楽と言われた。教え子に元ダイエーの西島貴之など。
○後藤修(9月10日 85歳)巨人など元投手
岩田南高から松竹に。以後左腕投手として大洋松竹、東映、大映、巨人、近鉄、南海、西鉄でプレー。NPB最多の8球団を渡り歩き「ジプシー後藤」の異名をとる。NPB通算18勝31敗455回1/3、防御率3.81。引退後はゴルフ指導者になり、尾崎将司や中島常幸らを指導。
○ジーン・バッキー(9月14日 82歳)阪神、近鉄元投手
ハワイのマイナーリーグから1962年入団テストを受けて阪神に。1964年に29勝を挙げて最多勝。先発投手として活躍。1964年近鉄に。アメリカ出身外国人選手としてはNPB最多タイの100勝を記録。NPB通算100勝80敗1596回2/3、防御率2.34。最多勝1回、最優秀防御率1回、沢村賞1回、ベストナイン1回。オールスター出場5回。
○ボビー・ミッチェル(9月29日 75歳)日本ハム元外野手
ヤンキース、ブリュワーズを経て1976年日本ハムに。一発狙いの荒っぽい打撃ながら抜群の長打力。1978年本塁打王。同時に4年連続で最多三振。MLB通算273試合609打数143安打21本塁打91打点14盗塁、打率.235。NPBでは474試合1718打数429安打113本塁打294打点22盗塁、打率.250。本塁打王1回、オールスター出場1回。
○金田正一(10月6日 86歳)国鉄、巨人元投手
享栄商を中退して1950年国鉄に入団。先発左腕として14年連続20勝を挙げるなど昭和を代表する投手となる。1965年には10年選手の権利を行使して巨人に移籍。NPB史上最多の400勝を挙げる。引退後はロッテ監督、解説者。またプロ野球名球会も創設した。NPB通算400勝298敗5526回2/3、防御率2.34。最多勝3回、最優秀防御率3回、最多奪三振10回。沢村賞3回、ベストナイン3回。オールスター出場17回。1988年野球殿堂入り。