「メジャーで仕事がしたい」ー夏は米国、冬はメキシコで働く日本人トレーナーに迫る
大学卒業後に渡米、ドミニカ共和国でもトレーナー業務に従事
現在32歳で、福岡県出身の金村氏がトレーナーを志そうと思ったのは、剣道部に所属していた中学生の時だという。ケガで治療院に通っていた時に、スポーツに関わる仕事に憧れを持った。その後、早稲田大学スポーツ科学部に進学。大学でスポーツ科学を学ぶとともに、狭山ヶ丘高アメフト部のメディカル・コンディショニングコーチを務め、アメフトXリーグ3部チームでのインターンも経験した。アスレティックトレーナーの仕事が米国発祥だったことから、米国留学の必要性を感じていた金村氏は大学卒業後、米国に留学。半年間語学学校に通った後、アーカンソー大学の大学院で2年間勉強を続け、アスレチックトレーナーの国家資格を取得した。
「高校までずっと剣道をしていましたし、野球をしたことはなかったんですが、野球を見るのが好きだったんです。どうせならプロスポーツのトレーナーになりたいなと思っていました。日本でプロスポーツといえば野球。米国で野球畑を経験していれば、もし日本に帰国しても役に立つかなと思ったんです」
12、13年には大学院と並行して、ロイヤルズ2Aでインターンを経験。大学院卒業後の14年にリハビリアシスタントとしてマーリンズに入団した。そのマーリンズ傘下でWBCに3度出場したドミニカ人のミゲル・テハダと出会ったことが、彼をラテンの世界へと導いた。14年オフ、ドミニカのウインターリーグでプレーする予定だったテハダに、同行するよう誘われたのだ。結局、テハダは病気を患い、シーズン途中からしかプレーできなかったが、金村氏はそれまでの経験を買われ、アギラス・シバエーニャスとアシスタントトレーナーとして契約。ラテン系の選手と交流を深める中で、ラテンの国の面白さを感じるようになっていったという。
そして15年には、アギラスでの経験が買われ、ドミニカ共和国にアカデミーを新設したカージナルスに採用され、現地のアスレティックトレーナーとしてアカデミーの選手たちを担当することになった。当時、約60人いた選手の中で英語が話せたのはわずか2人だけだったが、米球界でのスペイン語の必要性を感じていた金村氏はスペイン語を必死に勉強し、対応したという。
メキシコ行きの話は、マーリンズ時代の上司から舞い込んだ。16年夏、カージナルスのルーキーリーグを担当していた金村氏は、ベナードスがトレーナーを探していることを聞いて応募。採用され、今季で4年目になる。夏のシーズンはその後、18年までカージナルスでマイナーリーグ担当のアスレティックトレーナーを務めた後、19年にブレーブスに移籍。昨年はルーキーアドバンスドを担当し、来季は1Aを担当する予定だという。
「メキシコとドミニカを比べると、ドミニカのウインターリーグでプレーする選手はほとんどがMLB傘下でプレーしているので英語が話せるため、そこまでスペイン語力は問われませんが、メキシコのウインターリーグは、夏もメキシコでプレーしていてメキシコから出たことがない選手も多く、彼らはスペイン語を使いたがるので、メキシコのほうがスペイン語力は求められますね」
ベナードスでは17年には楽天の日系ブラジル人、ルシアノ・フェルナンド外野手、今季はDeNAの濱矢廣大投手がプレーした。彼らにはメキシコの文化的なことや生活面のアドバイスなどを送ってきたという。金村氏は「日本から外に出て違う国で自分を試そうとしている選手を見ると、応援したくなりますよね」と目を細める。異国の地での日本人選手との出会いも、刺激の1つとなっている。