中日育成の「名大くん」が歩む支配下への道 異色経歴左腕の“目標達成メソッド”
大学入学当初、直球は120キロほどだったが、、4年間で最速148キロにまで成長
沖縄の地で踏み出したプロとしての第一歩。「僕はまだ、他の人と比べて劣っている。まずは基礎の部分である体づくりから。1歩ずつ、1歩ずつ」。育成選手に与えられた期間は原則3年間。1日でも早く支配下に……なんて考えるのが常だが、松田は前のめりになりすぎない。「1年でも長い。1か月でも長いんです。その中で、コツコツやっていくことが大事」。
うまくいくことばかりではない。むしろ壁にぶち当たることの方が多いだろう。だが、それでいいのだと言う。「支配下になるという大目標、その軸さえブレなければ、目先のことでブレが生じても修正していけばいいので」。過去の“成功体験”があるからこそ、言い切れる。
名大時代、入学当初の直球のスピードは120キロほどで「コントロールにも苦労しました」。それでも「プロにいきたい」という大目標だけは決してブレなかったという。日々出てくる課題と向き合い、愚直に前進と後退と繰り返してきた。その結果、4年間で体重は20キロ近く増え、最速148キロにまで成長。「焦ってもしょうがない」。地に足をつけた松田流の成長法を、プロの世界でも実践する。
そして、もうひとつ欠かせないのが「継続していくことです」。キャンプの1か月が終わるころには、表情に充実感がにじんでいた。「腕が振れるようにはなってきました。僕の場合はまず、右打者のインコースに強い球を投げる精度を上げていくことです」。大化けする可能性を秘めた背番号「207」には、確かに見えているのかもしれない。2桁の背番号をつける日も、「名大くん」を卒業して「松田」と認知される日も――。
(小西亮 / Ryo Konishi)