「罰走」「特守」「うさぎ跳び」も… 日本にまだ残る「罰練習」は何故良くないのか

練習も「適量」を越えれば怪我のリスクが高まる

 第二に、選手個々の「適切な内容、量」を無視して練習させることの問題。

 ランニングにしても、うさぎ跳びにしても、ノックにしても、練習には本来「目的」がある。ランニングは全てのスポーツの基本であり、脚力をつけ、下半身を鍛錬するとともに心肺能力を高めるために必要な練習だとされる。しかし現代のアスリートは、ランニングの効果については「限定的」とする人が多い。ランニングのし過ぎは、足、膝、腰を痛めるリスクが高まるし、走り込みで筋力を高めるのは非効率だともいわれている。

 ウォームアップとして走ることは有効だが、それ以上の効果は期待できないという見方が強い。かつては、野球選手は「走ることが一番重要」と言われた。ベテランの解説者には「今の選手は走らないからダメだ」と言う人もいるが、今は、ランニングに対する評価は限定的だ。うさぎ跳びは、かつては足腰の強化に役立つと言われてきたが、下半身を痛めるとして禁止をする指導者が多い。しかし今も一部の指導者はやらせている場合がある。

 ノックによる守備練習は、守備力を高めるためには必要だが、これも量や時間によりけりだ。長時間ノックを受けると疲労のため、集中力がなくなり、怪我の危険が高まる。また捕球態勢が崩れることもある。長時間ノックで、守備が下手になる恐れもあるのだ。

「罰練習」を課す指導者は「練習はやればやっただけ鍛えられる。罰練習は、練習量が増えるのだから、プラスだ」という考えだ。しかし練習には「適量」があり、それをオーバーすれば健康障害などマイナス面が大きくなる。「苦しい練習に耐えることで精神力が鍛えられる」という指導者もいるが、現代は「どんなことでも黙って辛抱する」人材よりも、「自分で考え、選択する」人材が評価される時代だ。

 端的に言えば「罰練習」は、指導者と選手の上下関係をはっきりさせ、有無を言わさず選手を従わせるための手段だと言ってよい。「罰練習」を課す指導者は「選手を言葉で納得させることができないから、練習を強要している」とみなすことができる。「罰練習」は、日本以外ではあまり見られない。「野球離れ」に歯止めをかけるためにも、見直す必要があるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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