焼肉屋から解説者へ転身 元ロッテ藤田宗一氏を野球界に引き戻した2人の言葉

接客を学ぶためにラーメン屋で修行「初めは接客は向いていないと思いました」

 藤田氏と言えば、現役時代はメディアの取材は極力受けないタイプだった。言葉で伝えるよりも、マウンドで結果を出す方が先決だと考えていたからだ。でも、焼き肉屋を開くとなれば接客もしなければならない。西濃運輸での社会人時代に荷受けをすることはあったが、飲食業界での接客経験はゼロだった。そこで出店する場所を選ぶ間はラーメン屋で働き、接客の修行をした。「初めは接客は向いていないと思いました」と笑うが、5年続いたのだから、まんざらでもなかったのかもしれない。

 赤坂に焼き肉店をオープンさせたが、すぐに軌道に乗ったわけではない。野球で何度も辛い思いはしたが、また別の大変さがあった。

「寝る時間がなかったですね。お客さんに付き合って飲んで始発で帰ったり、店で寝てから帰っても、15時にはまた店に出る。そこから仕込みをするんですけど、仕込みもまた大変。野球は決まった年俸があるけど、店を持つとお客さんに来てもらわないと家賃も払えなくなるわけです。そんな中、仕込む量も間違えないようにしないといけない。開店してから3か月は毎月、10キロ、15キロくらいの肉を捨ててました。食べられるものはバイトの子に持って帰ってもらいましたけど、本当にもったいなかったです。でも、それが勉強になって、半年後には余った肉を生かせるメニューを考えたり、サービスで出したり、捨てないようになりました」

 日頃からよく来店してくれた1人が、第1回WBCで投手コーチを務めた鹿取義隆氏だった。ともに戦い、世界一を掴んだ“師弟”関係は、引退後も続いていた。第2の人生を歩み始めて3年目のある日、来店した鹿取氏にこう言われたという。

「鹿取さんに呼ばれて『お前はこんなところで料理をしている場合じゃない。店をやりたいなら誰かに任せて、グラウンドに行け!』って怒られたんです。『グラウンドに行かないと忘れられてしまう』って」

 そして同じ頃、別の人物からも野球界に戻るよう言われていた。それが、現在はロッテでスカウトを務める榎康弘氏だ。元ロッテの投手で広報を務めた榎氏は、藤田氏と同い年で仲のいい友人でもある。第1回WBCへの参加を渋った藤田氏を、なかば強制的に参加させたのも、当時広報だった榎氏だった。

「榎にも言われていたんです。『お前、解説の仕事とかしないと帰ってこれないぞ』って。焼き肉屋をしながらも、やっぱりいつかユニホームを着たい気持ちはありました。若い子に野球を教えたいな、と」

小中学生に野球を教える今、藤田氏が抱く新たな目標とは

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