関根潤三さんは「選手育成の名監督」 山下大輔氏が明かす地獄の伊東キャンプ秘話
大洋時代の教え子・山下大輔氏は30歳だった82年の秋季キャンプに参加
9日に93歳で亡くなった元大洋(現DeNA)、ヤクルト監督の関根潤三さんといえば、お茶の間では、好々爺然とした穏やかな笑顔で親しまれたが、親交のあった関係者は「素顔はドスの利いた、厳しい人だった」と口をそろえる。
大洋の名遊撃手として鳴らした山下大輔さんは、“地獄の伊東キャンプ”の印象が強烈だという。伊東キャンプといえば、1979年秋に当時の巨人・長嶋茂雄監督が、後に主力となる江川、西本、中畑、篠塚ら若手を集め猛練習で鍛え上げたことが有名だが、関根さんも大洋監督1年目の82年に5位に終わると、その秋に同じ静岡・伊東スタジアムに若手を招集した。
そこに、当時30歳で不動のレギュラーだった山下さんも「おまえが来ないと示しがつかない」と呼ばれた。参加選手のうち断トツで最年長だった。山下さんは「午前、午後、夜間練習を通じて非常にハードな毎日でした。猛烈なノック、ランニングで足はパンパン。球場の階段を上るのもつらかったし、わずか20、30分の昼休みに思わず眠りに落ちたほどです。30歳でよくぞ耐えられたと思いますよ」と振り返る。
チームは翌年3位に浮上。山下さんは「今考えると、当時の僕はレギュラーに定着して安心感が生じていた。あのキャンプのおかげで喝を入れられ、サビを洗い落としてもらった気がします。関根さんの狙いもそこにあったのかもしれませんね」と懐かしむ。
結局、大洋で3年、ヤクルトで3年監督を務めた関根さんがAクラス入りを果たしたのは、83年の1度だけ。それでも山下さんは「選手を育てることに関しては名監督でした」と断言している。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)