12球団ドラフト史上最高“当たり年”は? オリは名球会3人の68年かイチローの91年か
1968年は山田久志、加藤秀司、福本豊の3人が指名
毎年、100人近い新人が新たに飛び込んでくるプロ野球の世界。誰もが大きな志を抱いて入団してくるものの、活躍できるのはほんのひと握りしかいない。長いドラフトの歴史で12球団それぞれの最高の“当たり年”だったのは、いつだろうか。各球団を検証していってみよう。今回はオリックスだ。
1936年に阪急として発足し、草創期からプロ野球を支えてきたオリックス。1989年にオリックス・ブレーブス、1991年にオリックス・ブルーウェーブと名を変え、球界再編を機に、2005年から近鉄と合併してオリックス・バファローズとなった。
その長い歴史の中でも最も“当たり年”だったと言えるのは、阪急時代の1968年だろう。この年は1位で山田久志氏、2位で加藤秀司氏、そして7位で福本豊氏が入団。この同期3人が結果的に名球会入りすることになるのだから、この年の凄さがよく分かる。
サブマリンとして活躍した山田久志氏は2年目の1970年に52試合に登板して10勝をマークすると、3度のMVPに輝くなど大活躍、通算284勝をあげた。加藤秀司は3年目から主力に定着すると、1975年にはMVPを受賞。2度の首位打者、3度の打点王に輝くなど球界を代表する打者へと成長。広島、近鉄、巨人、南海と渡り歩き、通算2055安打を放った。
福本豊氏は言わずと知れた「世界の盗塁王」。1972年にNPB記録となるシーズン106盗塁をマークするなど、13年連続で盗塁王に輝いた。1972年にはMVPにもなり、通算2543安打、歴代最多の1065盗塁を記録した。この時代は指名されても、選手が入団を拒否することが多々あり、この年、阪急はドラフトで15人を指名したが、入団したのはわずか6人だけ。そのうち3人が名球会入りしているのだから驚きだ。
もう1年挙げるとすれば、1991年か。この年は、昨年3月に現役を引退したマリナーズのイチロー氏が指名された年で、4位指名だった。1位は田口壮氏(現オリックス1軍野手総合兼打撃コーチ)。田口氏もカージナルスやフィリーズでプレーしており、メジャーリーガー2人が生まれた年だった。
オリックスは現在チームを支える吉田正尚、近藤大亮、大城滉二が指名された2015年や2本柱の山岡泰輔、山本由伸が入団した2016年など、近年のドラフトでは上々の成果を挙げている。これらの年が1968年や1991年を超える“当たり年”になるか、これからに注目だ。