【球界と共に3】楽天元社長が明かす東日本大震災時の裏側 球界と星野監督が示した覚悟
島田亨さんインタビュー後編、東日本大震災時の経験を語る
新型コロナウイルスの猛威を受け、プロ野球は未曾有の危機に立たされているが、2011年に東日本大震災の影響で開幕が延期された経験からは、何らかの教訓を抽出できるはずだ。当時被災地に本拠地を置く東北楽天ゴールデンイーグルスでオーナー兼球団社長の重責を担っていた島田亨さん(現USEN-NEXT HOLDINGS取締役副社長COO)が振り返った。
2011年3月11日、地震の発生は午後2時46分。島田さんは東京・品川にあった楽天本社(当時)2階のミーティングルームにいて会議中だった。「ものすごく大きな長い揺れが来たわけですが、僕は揺れている最中に、ニュースやインターネットの情報を見るまでもなく、『これは宮城だ』と直感しました」
というのも、球団は3年前の08年同年6月14日にも、午前8時43分発生の岩手・宮城内陸地震に見舞われ、本拠地Kスタ宮城(現:楽天生命パーク宮城)で行われる予定だった巨人戦を急きょ中止する経験をしていた。さらに30年以内に必ず宮城沖で大きな地震が起こるとの予測もあり、本拠地にAED(自動体外式除細動器)を設置し、講習を行うなど準備をしていたのだ。
「ですから、揺れが収まると、僕は16階の自分のデスクがある部屋に階段で駆け上がり、仙台の球団事務所に電話をかけました。まだ津波は来ていませんでしたが、事務所の壁がひび割れて大変な状況になっていると聞き、すぐに仕事を打ち切って対策に入りました」
島田さんは12球団オーナー会議の議長も務めていたが、当初セ・リーグは予定通り3月25日開幕、パ・リーグは延期を主張し、いったんは分離開幕が決まるなど紛糾した。「実感値がない球団さんもあって、普通に『やれるよ』とおっしゃる方もいた。原子力発電所の事故で節電が求められている中で、ナイター開催を主張する球団もあって、正直言うと調整にはかなり手間取りました。一方、本拠地球場に液状化が起こっていたロッテさんなど、実感値がある球団さんは支援してくれましたね」。結局、プロ野球選手会や文科省からの要望もあり、4月12日のセ・パ同時開幕に落ち着き、東北電力・東京電力管内では4月中のナイター開催を自粛した。
チームにも空中分解の危機があった。震災発生時に兵庫県明石市でロッテとオープン戦を行っていた一行は、仙台に戻れない期間が約1か月に及び、他球団の施設を間借りしながら調整を続けた。「いま帰らないで、いつ帰るのか」と涙ながらに訴える選手もいたが、球団は混乱を極めていた被災地の状況、交通の遮断、シーズンに向けて調整しなければならないことなど、あらゆる面を考慮して見送った。