【球界と共に3】楽天元社長が明かす東日本大震災時の裏側 球界と星野監督が示した覚悟

「いま仙台に帰ることは許さん」チームの空中分解危機を抑えた星野監督

 当時就任1年目の星野仙一監督(18年1月死去)は「いま帰ることは許さん」とキッパリ言った。険悪なムードが流れ「こんな監督の下ではやってられない」との声まで上がった。島田さんは「星野さんは悪者役を買って出てくれたのです。あらゆる状況をひっくるめて、野球人の顔で『おまえたちがやるべき仕事は野球だ』とだけおっしゃった。あいまいな態度ではとても抑えられない状況でした。後々選手たちは監督の意図を理解してくれて報われましたが、当時は辛かったと思います」と言う。

 チームが震災発生後、初めて仙台に戻れたのは4月7日だった。翌日に監督・コーチ・選手が4グループに分かれ被災地の避難所などを訪問する予定だったが、その日の午後11時32分に震度6強という最大の余震が発生。「翌日の被災地訪問に新たなリスクが生まれました。しかし、僕は夜の時点で『監督がOKならやろう』と言いましたし、監督は迷わず『行くぞ』と号令をかけてくださった。待たされ続けて帰ってきた選手たちは、何があっても行くという気持ちでいましたから、止められたら大暴動が起きていたかもしれません。微妙な判断でしたが、星野監督はリーダーとして素晴らしいと思いました」と振り返る。チームは被災者に寄り添い、共感を受け、同年こそ5位に終わったものの、その思いは2年後の球団創設初優勝、日本一へつながっていった。

 一方で「僕は球団社長をやり、オーナー会議の議長をやり、楽天本社の役員でもあった。本社では三木谷浩史さんが東京に残り、僕は主に大阪を担当することになった。僕は宮城に行かなければならないのに、逆に西に仕事ができたのです。本当に限られた時間の中で、選手、球団職員の手当てはなんとか指示できたと思っていますが、選手や職員の向こう側にいるご家族のために、何をしなければならないかについて考えが至らず、後手後手になってしまいました。現場の職員に『いま、こういうことをやらないといけないと思います。いいですか? やりますよ?』と叱咤されていました。それが後悔であり、反省です」と忸怩たる思いも忘れていない。

 いま球界では、新型コロナウイルスの脅威と戦う一方で、1月にソフトバンクの王貞治球団会長が16球団構想を語ったことをきっかけに、エクスパンション(球団数拡張)の機運が高まりつつある。

 島田さんは「僕は球団を離れて随分たつので、具体的な情報を全く持っていない。あくまで私見」と前置きした上で「個人的には16球団にした方がいいと思います。1つには、日本には16球団を抱えても十分運営できるマーケットがあり、支えられる都市もあるということ。それにセ、パ両リーグとも、6球団中3球団がもう1度ポストシーズンで競い合う現状はナンセンスだと思います。ポストシーズンはやらないよりはやった方がいいけれど、8球団ずつの方がいい。プロ野球にとって最大の商品は試合であり、トーナメントのしくみ、ルールは1番重要です。その上にチームがあり、選手がいるのだと思います」と語る。現在は球界と距離を置いているが、東日本大震災という危機を当事者として乗り越えただけに、関心、愛情は変わらない。

 島田亨(しまだ・とおる) 1965年3月3日、東京都生まれ。2004年12月に東北楽天ゴールデンイーグルスの代表取締役社長に就任。08年1月からオーナーを兼務。12年7月、海外赴任に伴い退任。14年に楽天株式会社代表取締役副社長に就任。16年3月に同社を退社。17年3月、U-NEXT(現USEN-NEXT HOLDINGS)取締役副社長COO就任。トランスコスモス社外取締役ほか、長年エンジェル投資家としても活動、複数企業の経営をサポートしている。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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