元阪神エース&背番号「4」 藪氏が思い出すキーオ氏の言葉「日米の違いを教えてくれた」
阪神、アスレチックスで後輩にあたる藪恵壹氏が早過ぎる死を追悼
かつて阪神のエースとして活躍したマット・キーオ氏が64歳で亡くなったと、アスレチックスが2日(日本時間3日)が発表した。突然の訃報に際し、阪神でもアスレチックスでも後輩に当たる藪恵壹氏が追悼の言葉を寄せた。
キーオ氏が阪神に在籍したの1987年から4シーズンのこと。当時、大学生だった藪氏は「阪神のゲイル、キーオって言えば、いい右ピッチャーというイメージがありましたよね」と振り返る。実際に交流を持ったのは、藪氏がアスレチックスに移籍した2005年、スプリングトレーニングでのことだった。当時もキーオ氏はアスレチックスでスペシャルアシスタントを務めていた。
「キャンプに行った時、うまくメジャーに対応できるようにいろいろ教えてくれましたよ。僕とキーオさんは阪神での背番号が同じ『4』でしたからね。キャンプ中、前の年にドラフトされたばかりのカート・スズキ(現ナショナルズ)と僕がよく一緒にバッテリーを組んで、2人でベンチでキーオさんからいろいろ配球のアドバイスをいただきました」
その中でも参考になったのは、カウントによる配球の仕方だったという。
「カウントによる投球術の話は、今でも参考になっています。日米での考え方の違いをちゃんと説明してくれたので、合点がいきましたよね。例えば、野村(克也)さんの下でやっていた時は、初球にインコース真っ直ぐはない、というのがセオリーだった。でも、メジャーでは初球からインコース真っ直ぐの勝負球を投げるんですよね。アスレチックスに入って初めの頃、僕はそのサインに首を振っていたんだけど、当時正捕手だったケンドールから『なんで首を振るんだ?』って聞かれたんですよ。僕は『打者は狙っているだろ』っと返しても、『狙っていても凡打もあるんだから投げてこい』って。こういう話も、キーオさんが日米の違いを教えてくれたことで受け入れられましたよね」
今から振り返ってみると「アスレチックスと契約する時も、キーオさんが首脳陣にいろいろ言ってくれたんだろうなと思うことがありますね」という藪氏。「まだ64歳。早過ぎますね」と、その死を悼んだ。
(佐藤直子 / Naoko Sato)