期待の表れ? エースの証? パ・リーグ球団のエースナンバー事情

オリックスで2003年から着けた山口はスカウトとして山本の獲得に尽力

○オリックス:山口和男投手(2003年~)
2002年:41試合2勝3敗6セーブ 54回 49奪三振 防御率2.50
2003年:登板なし

 広島・山陽高から三菱自動車岡崎を経てオリックスに逆指名で入団した山口は1年目こそ2試合の先発登板を経験したものの、2年目からは中継ぎ投手としてブルペンを支える役割となる。2001年に32試合に登板すると、翌年は自己最多となる41試合に登板。当時プロ野球最速となる158キロを記録した豪速球を武器に、6つのセーブを挙げた。

 しかし、9月以降は肩の故障による離脱もあって戦列を離れることとなり、背番号を「18」として迎えた2003年も手術の影響で登板することができなかった。復帰した2004年に40試合に登板し、自己最多の17セーブを挙げるなど、2009年の引退までオリックスに在籍。引退後はスカウトとしてチームに残り、九州地区を担当していた2016年に18番を受け継ぐことになる山本由伸投手に出会い、獲得を進言することになる。

○オリックス:岸田護投手(2010年~)
2009年:19試合10勝4敗 139.1回 124奪三振 防御率3.10
2010年:57試合6勝5敗12セーブ 104.2回 96奪三振 防御率3.27

 NTT東日本から大学・社会人ドラフト3巡目で入団した岸田。4年目の2009年、プロ初完封を含む3つの完投を記録するなど、自己最多の10勝を記録。この年も故障での離脱があったため規定投球回にこそ届かなかったものの、金子弌大投手(現日本ハム)に次ぐ勝ち星を挙げて先発陣の一角に定着した。

 先述の山口が2009年で引退して空き番号となったことを受け、こちらも山口と同様に14番から18番へ背番号を変更。迎えた2010年シーズンも、序盤はローテーションの一角として登板した。しかし、チーム事情などもありシーズン途中からクローザーの役割を担うと、最終的には自己最多となる57試合に登板して12セーブを記録。同じくこの年から救援投手に定着した平野佳寿投手(現・マリナーズ)とともに、2010年代前半のブルペン陣を支える活躍を見せた。

 2019年に岸田が14年間にわたるプロ野球生活に別れを告げたことで空いた背番号「18」は、これからのチームを支える山本由伸投手へと受け継がれた。2000年代、パ・リーグで「18」を受け継いできた投手は以上の4人。さらに成績を向上させてチームの大きな柱となった投手がいれば、配置転換で新たな活路を見いだした投手、故障からの復活を果たした投手など、それぞれが異なる道筋をたどっていた。

 今季から新たに「18」を身に着ける二木康太投手、山本由伸投手の2人はどのような成績を残すのか。そして、今季飛躍を遂げて新たに身に着ける投手が現れるか。大投手を象徴する番号の1つ、背番号「18」に注目するのもおもしろい。

(「パ・リーグ インサイト」成田康史)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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