パ・リーグ設立70周年、日刊スポーツ紙面でたどる歴史の数々 初年度の一面記事は?

潤沢な資金を持つ新聞社が存在感を放つ

 今回、野球殿堂博物館の学芸員である井上裕太さんに貴重な話をうかがう機会に恵まれた。まず、当時の球団と新聞資本のつながりについてである。

「最初は2リーグ制への布石として、まずは8球団から10球団へ球団数を増やそうという(正力氏の)考え方でした。その中で、最初に新球団候補として挙がったのが毎日新聞社。資金的なところもあると思います。まず毎日を入れるかどうかという議論の中で、こういうこと(再編問題)になっていったのではないでしょうか」

 確かに、両リーグのチームの中には毎日の他に巨人、中日、西日本といった新聞社をバックグラウンドに持つチームの存在が目立つ。すでに国民にとっての一大コンテンツとなっていたプロ野球に価値を見出す企業は多かったが、なかでも潤沢な資金を持つ新聞社の存在は一際大きかったはずだ。

 さらに、球団を持つ新聞社はファンの野球情報の入手先として大きな役割を担っていたと指摘する。

「テレビがなかった時代の最先端情報と言うのでしょうか。主要たるメディアが新聞でした。ラジオもありましたが、やはり活字で残る新聞の方が強かったのです。例えば、2リーグ制が決定された際は、球団を持つ新聞社を含めた各紙がスポーツ面や社説で精力的に報じていたようです」

 現在では野球情報と言えば新聞はもちろんのこと、ラジオ、テレビ、「パーソル パ・リーグTV」のようなネット配信、弊媒体「パ・リーグ インサイト」のようなウェブメディアなど情報源は多岐にわたっている。過去を振り返るには、当時のメディアの状況下も考える必要があるということだろう。

正力松太郎氏は現代ではタイトルの名前にも

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