松坂大輔の“甲子園伝説”に米記者が注目 延長17回の“準備”に「私は驚愕した」
延長17回の死闘、決勝2ランで勝ち越した場面でブルペンにいる松坂の姿に…
“平成の怪物”西武・松坂大輔投手が横浜高校時代に成し遂げた甲子園春夏連覇。今もなお、伝説として語り継がれる決勝ノーヒットノーランが米で再脚光を浴びている。
1998年8月22日、全国高校野球選手権大会・京都成章との決勝で59年ぶり2人目、戦後初の「決勝ノーヒットノーラン」を達成した松坂。PL学園との準々決勝では延長17回を250球、翌日の準決勝・明徳義塾戦では大逆転劇を呼び込む1イニングの好リリーフ……。
この激戦を振り返っているのはニューヨークのTV局「YESネットワーク」のアナリストを務めるジャック・カリー氏だった。自身のツイッターで「物を漁っていると1998年の日本の甲子園トーナメントのテープを見つけた。17回で250球を投げ勝利したダイスケ・マツザカが映し出されていた。素晴らしい。彼はその翌日にセーブを挙げ、翌々日にはノーヒットノーランを記録して全国制覇した」と、高校時代の松坂の偉業を改めて称賛。
カリー氏は2007年にレッドソックス入りした松坂の“入団までの道のり”記事を寄稿している。現在も西武で現役としてプレーを続ける松坂の動向を注視しているようだ。
そんなカリー氏が最も衝撃を受けたのはPL学園との延長17回の死闘だったようだ。横浜高校が延長17回に常盤が勝ち越し2ランを放った際に松坂が三塁ファウルゾーンで次の回に向け準備する姿に「彼の行動に私は驚嘆した。17回の前に、彼は左翼線付近でウォ―ミングアップをしていたのだ! 信じられない」と驚きの声を上げていた。
炎天下の中、延長戦を一人で投げ抜き、次の回に備えブルペンで投球する姿は米国ではありえない光景。なお、この試合がきっかけとなり2000年の甲子園からは延長15回制に短縮されることになった。
(Full-Count編集部)