親子二代で消えた甲子園への道… 見守る父の思い「何でこんなに似ているのかと…」

報徳学園・三宅雄雅主将(右)と父・雄隆さん【写真:橋本健吾】
報徳学園・三宅雄雅主将(右)と父・雄隆さん【写真:橋本健吾】

報徳学園の三宅主将は親子二代で夏の挑戦権を失う

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、戦後初めて中止が決まった夏の全国高等学校野球選手権大会。選抜大会もなくなり高校3年生は全国の舞台で力を発揮する場をなくすことに。そして、報徳学園の三宅雄雅主将は親子二代で“夏への挑戦権”を失うことになった。

 5月20日。高野連の発表を受け大角健二監督から伝えられた言葉が重くのしかかった。三宅主将は「悔しい思いもあった。でも、チームの主将として下を向いてはいられない」と、どこにもぶつけることができない思いを胸にしまい込んで前を向いた。

 父・雄隆さんは、そんな息子の姿を見守ることしかできなかった。

「かける言葉は正直見つからない。周りは『次がある』『ピンチをチャンス』と言いますが、部活動をする学生たちは全ての思いをかけてきた。すぐに切り替えて、とは言えないですよ」

 雄隆さんも高校時代は報徳学園で甲子園を目指した球児の1人だった。だが、息子と同じように、その夢は志半ばで潰えた。1987年、高校3年の春に下級生の不祥事が発覚。夏の県大会を辞退することになり、挑戦権を得る前に2年半の高校野球生活は幕を閉じた。当時、目標を失った3年生部員の中には部を去っていく選手たちもいたが、雄隆さんは同級生の西谷浩一氏(現大阪桐蔭監督)らと共に部に残り、黙々と練習を続けた。

「小さい頃から野球をやる姿を見ていた。高校は息子が決めればいいと思っていたが、少しはここ(報徳学園)でという気持ちもありましたし、楽しみもあった。私たちと全く状況は違いますが、まさか最後がこんな形になるとは。すべてがリンクするというか、なんでこんなに似ているのかと思いました」

選抜をかけた秋の近畿大会は初戦で敗退、場所は奈良の佐藤薬品スタジアム

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