元ヤクルト助っ人リグス氏が語る日本愛 活躍を支えたラミレス監督の存在

プロ野球での最高の思い出は延長10回サヨナラ弾「後ろにガンちゃんがいてくれたおかげ」

 日本での最高の思い出は2006年6月2日、オリックス戦(神宮)の延長10回2死で左腕・山本省吾から放ったサヨナラ弾だという。「二塁に青木(宣親外野手)がいて、通常であれば私を歩かせて次の打者で勝負するところでしたが、ネクストバッターズサークルにガンちゃん(岩村明憲内野手=現BCリーグ・福島監督兼球団社長)がいたので、相手は私と勝負してきました。真っすぐを狙っていたのですが、スライダーが来て『やられた』と思いつつバットをできるだけストライクゾーンに残すつもりでスイングしました。幸運にも左腕1本でボールをとらえることができ、打球はレフトスタンド中段へ。ファンは大騒ぎでした」。記憶は今も鮮明で「もしガンちゃんが私の次に控えていなかったら、あの状況で相手が私と勝負してくることはなかったでしょう。後ろに彼がいてくれたおかげです」と感謝を口にするのだった。

 4年間で数々の外国人選手とも同僚となったが、特に仲が良く、リグスさんに大きな影響を与えたのが、現DeNA監督のアレックス・ラミレス外野手。「ラミとは兄弟のようでした。米国、日本でプレーした中でも、彼が“ベストチームメート”です」と断言するほどだ。「私が不調の時は、いつもアドバイスをくれて、常にポジティブでいられるように声をかけてくれました。ラミがチームメートでなかったら、日本に3か月以上はいられなかったと自信を持って言えます」と感謝の言葉は尽きない。
 当時のグラウンドを離れてのエピソードも披露してくれたリグスさん。「オープン戦の時期にラミと私で青木をキューバ料理のレストランに連れて行ったことがあります。サルサミュージックが演奏されている店で、食後にラミが青木にサルサダンスを教えました。あれは楽しい夜でした」と懐かしそうに振り返った。

 翻って、今後日本でプレーする外国人選手に向けて「『自分の能力を最大限に発揮することに集中し、米国と日本の些細な違いにこだわらないように』と言いたいです。彼ら自身がコントロールできるのは、日々どれだけ一生懸命練習するかと、どれだけ一生懸命プレーするかだけです。コントロールできないことを思い悩んでも、フラストレーションがたまるだけです」と熱弁を振るう。

 そして、「日本でプレーすることは、限られた人しか経験できない特権です。感謝の気持ちを持って、日本での時間を楽しんでほしいです。その時間にもいつか終わりが来ますから」と付け加えた。リグスさん自身、ヤクルト時代には「毎日のように東京のあちこちを歩き回りました。試合のない月曜日には地下鉄に乗り、知らない街を探索しましたよ」。

 次回は“ニャー誕生秘話”と、「私にとって特別な存在」という古田氏について聞く。

(取材協力・B-creative agency 亀田恭之)

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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