屋鋪要氏が長嶋監督と交わした約束 “巨人軍は紳士たれ”も口髭を貫いた訳
鉄道写真家として蒸気機関車を撮り続ける理由
現役引退後、蒸気機関車を主な被写体に鉄道写真家として活動を始め、周囲を驚かせた。2014年に「目指せ打率10割! 屋鋪要の保存蒸機完全制覇」(ネコ・パブリッシング)を発行。昨年10月には、写真集「遥かなる鐵路 いま逢いに行ける蒸気機関車」(日本写真企画)を上梓し発売中だ。YouTubeでも、全国の静態保存中の蒸気機関車を訪ね動画を公開している。
「小学生の頃から蒸気機関車が大好きで撮影に出かけていましたが、中学(兵庫・三田学園中)入学と同時に寮に入り野球漬けの毎日となったため、“志半ば”で中断せざるをえなかった。現役を引退して、ようやく再開できたのです」
蒸気機関車は、亡き父の思い出ともつながっている。屋鋪さんは小学6年の夏休みに、父・貢さんとともに北海道の蒸気機関車を1週間かけて撮影して回った。これをきっかけに、鉄道写真撮影は貢さんの趣味にもなり、その後は1人で全国を旅していたという。貢さんは1982年に57歳で亡くなったが、屋鋪さんの長男・大地さんもブルートレインが大好きで、年に1度親子で撮影旅行を楽しむ。鉄道への思いは、3代に渡って受け継がれているのだ。
一方、野球指導者としての活動も続けている。約20年間、幼稚園児から中学生までを対象に都内や神奈川県内などで野球塾を開講。同時に100人を超える受講生を抱えた時期もあった。今年度も、新型コロナウイルス感染拡大による休止をへて、6月1日にスタートした。
教え子にはDeNA・乙坂智外野手、同・関根大気外野手、ヤクルト・奥村展征内野手らもいる。「子供たちの野球人生は、指導者によって大きく変わります。僕は自信を持って『絶対間違いのない基本を教えてあげるから、忘れるなよ』と伝えています。特に、頭を使って考えながら野球をやれと強調しています。それに人間として、いじめは絶対に許しません」と言う。
「教え子たちには、野球という素晴らしいスポーツに長く携わってほしいですし、次の世代に引き継いでいってほしいです」。多彩な才能を発揮している屋鋪さんだが、その芯の部分にはやはり、野球がでんと腰を据えている。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)