パ・リーグ初本塁打に初代王者は? 日刊スポーツで振り返る70年前のパ初の公式戦
平均試合時間は1時間45分だった「イメージとしては高校野球に近い
同じ野球というスポーツでも70年前の記事と現代の記事では情報の送り手と受け手が大きく変化しており、どちらが優れているかは決めることができない。「70年後の世界」の視点からはどのような違いが見出せるだろうか。
続いて話題は開幕戦の試合内容へ。まず井上さんが指摘したのは「試合時間」の違いだ。パ・リーグの2019年シーズンの平均試合時間は3時間18分(9回試合のみ)である。一方で、70年前のパ・リーグの平均試合時間は1時間45分だったとのことだ。
紙面で取り上げている西鉄対毎日の試合時間は1時間43分、第2試合の南海対阪急は2時間5分。いずれも現在から比べれば1時間以上も短いが、その背景にはどのような要因があるのだろうか。
「当時は2時間を超える試合でも長い方かもしれない。テンポよくプレーしていたんだと思いますね。現在はピッチャーが投げて、キャッチャーが返球したら(次の投球まで)少し間を置いていますが、当時はまたすぐに始めていたと考えられます。イメージとしては高校野球に近いですね」
確かに、現在ではバッテリー間やベンチとのサイン交換などによって、投球ごとに一定の間隔が生まれている。近年は選手も積極的に試合時間の短縮に努めている様子も見られる。ただ、試合時間の延長は、70年の間に打者と投手の駆け引きがより高度なものになった証拠であるとも言えるかもしれない。
そして気になるのは、今から70年前の「レジェンド」についてである。この試合で9得点を記録してチームを大勝に導いた毎日の野手陣に注目する。井上さんによれば、プロ野球再編という大きな混乱の中で引き抜きが横行し、移籍を決断する選手もいたとのことである。例えば、この1950年に、松竹ロビンスの岩本義行とともに、プロ野球史上初のトリプルスリーを達成した毎日・別当薫らだ。
「毎日の主要な選手には、別当さんの他にも、若林忠志監督をはじめ、1番打者の呉昌征選手、2番の本堂保次選手、5番の土井垣武選手など、多くの選手らが阪神(当時は、大阪タイガース)から移籍したんですよ。1940年代後半のタイガース打線は”ダイナマイト打線”と呼ばれていました。アマチュアでも有力な選手を獲得していて、かなり戦力は充実していたようですね」
こうした移籍の背景には、プロ野球再編の際に毎日が新加入チームの筆頭に上がっていたように、強力なバックアップが存在していたことも挙げられるとのこと。実際のところ、毎日は戦力補強に苦心する他の新規加盟チームとは一線を画す強さを誇っており、81勝34敗5分、勝率.704の圧倒的な成績でリーグ優勝、そして日本シリーズの初代王者にも輝いている。
こうしてパ・リーグの熱戦はスタートを切った。第3回以降では1950年シーズンの印象的な試合についてピックアップしていく予定だ。もちろん、本記事で触れた以外の点でも、紙面上からはさまざまな情報を得ることができる。1つの歴史資料として、ぜひとも紙面の細かい部分にも注目してもらいたい。
紙面提供・日刊スポーツ
取材協力・野球殿堂博物館
(「パ・リーグ インサイト」吉田貴)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)