なぜユニホームに背番号が付いたのか? 選手のステータスを象徴する深い歴史
ジャッキー・ロビンソンを称え背番号「42」が全球団の永久欠番に
1997年、MLBは黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンのMLBデビュー50年をたたえて彼の背番号「42」を全球団共通の「永久欠番」にした。その時点で「42」だった選手は、引退までつけることが認められた。2013年に最後の背番号「42」だったヤンキースのマリアノ・リベラが引退し「42」をつける選手はいなくなった。
日本では「42」はそれほど人気のある背番号ではなかったが、この時期から外国人選手が好んで「42」をつけることが多くなった。
2007年、NPBは「育成選手制度」を導入。育成ドラフトによって支配下70選手とは別に「育成枠」で選手を獲得できるようになった。育成選手は、支配下選手と区別するために「3桁」の背番号をつけることとなった。一部の球団では、百番台の背番号はブルペン捕手や打撃投手、球団オーナー、マスコットなどが付けていた。そういう球団では「001」など「0」から始まる背番号を育成選手につけている。
少し前まで、日本のプロ野球では野手は「一桁の背番号」を目指すものだと言われた。2軍の試合では大きな背番号をつけた若手選手に向かって「背番号が重たそうだぞ、早く軽い(一桁の)背番号をつけるようになれよ!」という掛け声がかかった。
その後、有名選手も好みで大きな背番号をつけるようになったが、育成制度の導入で、下から這い上がる若手選手はまた「重たい背番号」を背負うようになった。彼らも「軽い背番号」を目指している。
背番号は今も「選手のステータス」にしっかり関わっているのだ。
(広尾晃 / Koh Hiroo)