レギュラーの証「規定打席」 基準となる「試合数×3.1」はどのように決まったのか?
1957年から「規定打席」を導入することが決まり、「試合数×3.1」という基準に
しかし、倍近い打数のスローターのほうが打者として優秀ではないか、という議論が起き1950年からは「規定打数」となり「400」という基準が設けられた。
だが、1954年、ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムズは386打数133安打、打率.345だったが、四死球が137あり規定打数の400に達しなかった。このために、555打数189安打、打率.341でクリーブランド・インディアンスのボビー・アビーラが首位打者になった。
選球眼が優秀で投手にも恐れられた最強打者、ウィリアムズが首位打者でないのはおかしいという議論が再び起こり1957年から「規定打席」を導入することが決まった。そして「試合数×3.1」という基準が設けられた。この基準は、今も適用されている。
NPBでも1956年までは「規定打数」だった。1957年からはMLBに倣って「規定打席」。さらに1959年から原則として「試合数×3.1」という基準になった。
それ以前の記録を調べると、1952年、近鉄の甲斐友治は303打数99安打、打率.327で打率2位になっている。この年の「規定打数」が300だったためにぎりぎりランクインしたが、打席数は318。近鉄はこの年108試合だから「試合数×3.1」の「規定打席」であれば、ランク外だったことになる。
規定打席は、現在も「打率」「長打率」「出塁率」などの選定基準となっている。過去には2例、規定打席ちょうどでの首位打者が出ている。1975年、太平洋の白仁天(379打数121安打 打率.319)と1991年ロッテの平井光親(353打数111安打 打率.314)だ。ともに130試合制での規定打席403ちょうどだった。