2度のTJ手術も甲子園中止… 「何のために手術を…」代替大会に賭ける特別な思い

北照・沖元涼【写真:石川加奈子】
北照・沖元涼【写真:石川加奈子】

20日、念願の公式戦のマウンドに上がる北照の沖元涼投手

 高校生ながら2度もトミー・ジョン手術を受けた投手が北海道にいる。18、19年と2年連続夏の甲子園に出場した北照の沖元涼投手(3年)。北海道独自の代替大会で最初で最後の公式戦登板を目指す。

 すでに先発として実戦復帰している左腕は、20日の初戦に背番号「10」でベンチ入りすることが決まった。「半分以上はリハビリに費やした高校生活でしたが、最後はしっかり投げ切って終わりたいです」と静かに闘志を燃やす。

 両手首の腱を移植した左肘の内側には、15センチほどの手術痕がくっきりと残っている。最初に異変が起きたのは1年生の夏だった。新チーム発足後初の練習試合で先発を任されたが、思うようなボールを投げられない。江戸川中央シニア時代にマークした最速136キロには遠く及ばない120キロ中盤しか球速が出ない。おかしいと思って病院に行くと、肘の状態が悪く、9月に札幌市内の病院で手術をすることになった。

 復帰プランは7か月間で組んでもらった。「2年生の夏に間に合わせたくて。ハイリスクでしたが、自分で決めました。でも、案の定、壊れました」と沖元は淡々と振り返る。予定通り2年生の5月に実戦復帰した後、6月中旬の練習試合で投げた時に移植した箇所が切れた。「プチッと音がしました。痛くて、マウンドでうずくまって、動けませんでした」。関係者の車で救急病院へ。野球を続けるにはもう一度手術が必要だった。

 1度目の手術を受ける前には「いい球を投げられないし、野球をやめたくなった」と言う。だが、2度目には違う感情が芽生えた。「野球をやめたくないと思ったんです。復帰して投げる投げる楽しさがあったので、絶対にまた投げたいって」。今度は自宅のある東京の病院で手術を受けた。手術日の7月16日は上林弘樹監督の誕生日であり、チームが南北海道大会初戦で北海道大谷室蘭と対戦する日。術後麻酔から覚めて発した第一声は「勝った?」だった。家族から勝利を伝えられ、うれしかったことを鮮明に覚えている。この夏、チームは2年連続の甲子園出場を決め、退院した沖元も甲子園のアルプスで声援を送った。

 2度目の術後は、1度目よりも余裕を持った復帰プランを組んだ。目標は3年生の5月。一番の懸案事項は怖さだった。「お医者さんから少し痛みは出ると言われていたのですが、加減が分からないので。投げる予定を取りやめたり、慎重に進めました」と沖元は言う。昨秋は主将兼三塁コーチャーとしてベンチ入りしたが、大会後に主将の肩書を返上した。「もちろんチームのことは支えるけど、投げるために野球に集中したいと伝えました」。万全の状態で最後の夏を迎えるためだった。

東京から小樽に野球留学、そのほとんどをリハビリに明け暮れた

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