2度のTJ手術も甲子園中止… 「何のために手術を…」代替大会に賭ける特別な思い
東京から小樽に野球留学、そのほとんどをリハビリに明け暮れた
2人の兄の思いも背負っていた。長兄の楓さんは市立船橋の捕手、次兄の翔さんは関東一の二塁手。2人とも最後の夏はけがでベンチ入りできなかった。「兄がやっていたから始めた野球。『最後の夏、頑張れよ』と励ましてもらっていたので、最後に投げる姿を見せたい」とつらいリハビリを乗り越える原動力になった。
3年夏の甲子園での登板を思い描いた復帰計画は順調だった。だが、5月20日に目標としていた甲子園大会の中止が決定。ロードワークを終えてグランドに戻った時に知らされた左腕はショックのあまり寮の部屋に帰って泣いた。「何のために手術したのか」。
誰のせいでもないことは分かっている。でも、やるせなさをどう消化していいのか分からない。「やる気をなくして、ふてくされました。まともに人の話も聞けないくらいでした」と沖元は苦笑いで振り返る。すぐに東京の両親に電話をして「今まで野球をやらせてくれてありがとう」と伝えた。もう高校野球は終ったと思った。
6月2日に北海道独自の代替大会の開催が決まり、救われた。「絶対に優勝してやろうと思いました。『甲子園がなかったから行けなかった』と言えるのは優勝したチームだけですから」と再び闘志に火がついた。
7月4日に小樽桜ヶ丘球場で行われた江陵との練習試合には、東京から両親が駆けつけた。父・信二さんは「投げている姿をみるのは中学の時以来2年ぶり。野球ができるようになって良かった」とホッとした表情だった。
信二さんも代替大会の開催を喜ぶ。「手術をしたからということではなく、本人に区切りをつけてほしかったんです。だから、最初は『大会がないならプロテストでもいいから受けて来い』と言いました。『自分で見切りをつけろ』と。後で『あれがあれば』とか『あれがなければ』とかなるのは嫌ですから」と親心を明かす。
東京から小樽に野球留学して、そのほとんどをリハビリに明け暮れた。けがを乗り越えてたどり着いた最後の舞台。信二さんは「高校3年間の一番の成長は野球を好きになったこと。今はまだ慎重に投げているのか、小さく見えます。もうこれで終わりなので、最後は思い切ってやってほしい」とエールを送る。大会での勇姿も球場で見届ける予定だ。
温かく見守ってくれた両親の前で公式戦初登板を目指す沖元は「野球を楽しんでいる姿を見せたいです。迷惑をかけてばかりだったので」と照れくさそうに笑った。卒業後は東京で就職を予定して、野球から離れる予定。最初で最後の夏、甲子園にはつながらなくても完全燃焼する。
(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)