MLBでは減少一途も、NPBは50年前と変わらず…送りバントの歴史と達人

MLBでは1試合あたり犠打は0.16個と激減している

 そして、日本のプロ野球には戦前から「バントの名手」がいた。阪神の遊撃手だった皆川定男、捕手の田中義男、名古屋金鯱軍の遊撃手の農人渉などがその代表格だ。

 戦後になっても「送りバント」は、多くのチームで多用された。1960年代に巨人は「ドジャースの戦法」を取り入れたが、これはヒットエンドランとともに、送りバントの重要性が強調されていた。それまでの巨人は「送りバント」をあまり使わないチームだったが、川上哲治監督以降、犠打が増加。2番にバントが得意な「つなぐ打者」を起用することも定着した。V9戦士の土井正三は5回もリーグ最多犠打を記録している。

 一方で、西鉄、大洋などで采配を執った三原脩氏は、2番に強打者を置く「流線形打線」を考案。犠打数もそれほど多くなかった。こうした例で分かるように、犠打の記録は、個人の能力だけでなく、監督、指揮官の野球に対する考え方に左右される部分が大きいといえる。

 年によっても総犠打数は変動するが、1970年はセ・パ両リーグ1560試合で989犠打。1試合当たり0.63個。2019年は1716試合で1119犠打、1試合当たり0.65個となっている。昔も今も3試合で2個程度の犠打が行われている。

 MLBでは、犠打はもともと積極的に取り入れる指揮官はそれほど多くはなかったが、近年はさらに減少する傾向にある。1970年は3888試合で1630犠打、1試合当たり0.42個だったが、2019年には4856試合で776犠打、1試合当たり0.16個にまで減少している。

川相昌弘に次ぐスペシャリストの宮本慎也やソフトバンクの今宮健太

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