起業家に転身した元中日ドラ3野手 「5年でクビになった」と笑って語れるワケ
名古屋ファッション専門学校の学生200人に向けて講演を行った友永翔太さん
昨季限りで中日を戦力外となり、起業家として第2の人生をスタートさせた友永翔太さんが、20歳前後の若者たちに未来を切り開くヒントを説いた。21日、名古屋市内の名古屋ファッション専門学校の学生およそ200人に講演。新たなキャリアへと向かう原動力を語りながら、可能性を秘めた学生たちとのコラボ企画も提案した。
中日に入団した2015年から過ごす名古屋の地は「第2のふるさと」だと言う友永さん。「プロで結果を残せず、この街にいい思い出がないと思う方もいるかもしれませんが、僕は違います。温かい人柄に触れ、多くのファンの方々に応援してもらった名古屋に恩返しがしたい」との思いを抱く。今回、所属する名古屋の芸能事務所を通じて講演の話が持ち上がり、二つ返事で快諾。「学生さんが何かを考えるきっかけになってくれれば」と教壇に立った。
プロ野球に関心のない学生も少なくない中で、友永さんが強調したのは、1つのことを突き詰める大切さ。「興味があったり好きだったりすることは、とことん続けてほしい。嫌になるってくらいまで、自分を追求して」と話した。名門の東海大相模高から国際武道大、日本通運と遠回りしてプロの世界にたどりついた自身の人生を重ね「喜びや感動よりも、苦しいことや失敗の方が多い。でも、それを乗り越えた時に初めてやってよかったなと思う」と説いた。
講演中、あけすけに「中日を5年でクビになった」と自己紹介した友永さん。参加した関係者からは「自分だったらなかなか人前では言えないと思うのですが?」という質問も飛び出した。5年間で1軍出場は34試合にとどまった悔しいプロ生活だったが、「失敗を自分で受け入れることで前に進めるし、包み隠さず人にも話せるんだと思います」と笑顔で語った。
現在は株式会社「RESKA」を設立し、直近ではブライダルサロンの運営を開始。さらにアパレル展開も見据え、ファッションのデザインや流通を学ぶ学生たちに“協業”を提案する場面も。さらに、ゴルフウェアを中心にしたブランド「#3d4102」を立ち上げる計画を紹介し、販売する商品のデザインを募集。「一瞬のひらめきと想像力」を大事にしたいといい、あえて規格やテーマなどを設けず「皆さんの自由なイメージをデザインしてほしい」と呼び掛けた。
「#3d4102」は逆から読むと友永さんが中日入りした「2014年ドラフト(D)3位」の意味。「プロ野球選手という最初の夢がかなった原点に戻って、もうひとつの夢を立ち上げたい」という思いが込められており、ファッション業界で働くことを夢見る学生たちの背中を押せればと願う。「思いが中途半端じゃなければ、年齢は関係ないと思います」と自らにも言い聞かせるように言葉にした友永さん。枠にとらわれない異色の起業家は、思い入れある地で挑戦を続けていく。
(小西亮 / Ryo Konishi)