秋山翔吾との出会いで知った“限界” 24歳で引退した元西武野手の決断と第2の人生
17年の自主トレから秋山翔吾に弟子入り、19年オフに戦力外通告を受けた金子一輝さん
西武ライオンズは、埼玉県内5か所でアカデミーを開校している。コロナ禍の影響で授業が中断していたが6月から順次再開され、今年からアカデミーコーチに就任した金子一輝さんも、新たな人生をスタートさせた。
神奈川・日大藤沢高から13年のドラフト4位で入団。5年目の18年5月に1軍に初昇格し、プロ入り初安打となる本塁打を放つなど、6試合で14打数5安打の成績を残した。しかし、6月に降格後は再び1軍の舞台に立つことはなく、19年オフに戦力外通告を受けた。
「1軍で感じた課題、特に追い込まれてからのバッティングに取り組んでいました。でも、一度ずれた感覚が戻らなかった。映像で照らし合わせてみても、大きく変わっているところはないので、細かいところが少しずつずれていって、答えが見つからないままでした。最後の年も、本当に悩みながらやっていました」
17年の自主トレから、秋山翔吾外野手(現レッズ)に弟子入りし、野球に対する意識が変わった。それまでとは比較にならない練習量をこなすようになり、常に「今年ダメなら終わり」という覚悟でシーズンに臨んでいた。それでも、1軍での出場は6試合に留まり「もしかしたら……」という考えが頭の片隅にはあった。そのため、戦力外を通告されても驚くことはなかった。
「悔しい気持ちは当然ありました。でも、やり切ったという気持ちが大きかったので、トライアウトを受けようとは思いませんでした。秋山さんとの自主トレをきっかけに、心を入れ変えられた。もし変わらずにずるずるやっていたら、まだ自分はできるんだと勘違いをして中途半端なまま野球を続けていたかもしれません。5年目、6年目は誰よりも練習したと言える。『これだけやってダメだったら才能がないんだ』と考えるようにしていました。なので、きっぱり諦めることができました」