ブーマー、門田、ローズ、山崎ら… 30代後半で活躍した“ベテラン打点王”は?
門田氏は40歳で迎えた1988年に本塁打、打点の2冠に輝く
○水谷実雄氏(1983年・36歳)
水谷氏は広島時代の1978年に打率.348で首位打者に輝くなど、中心打者の一人として広島黄金時代を支えた好打者だ。高卒4年目に1軍に定着してから5度の打率.300超えを記録するなど、広島で主力打者として息の長い活躍を続けたが、34歳で迎えた1981年に打率.337という数字を残し、翌1982年も打率.303を記録するなど、ベテランとなってからも高い打撃技術を維持していた。
1983年にトレードで阪急に移籍すると、打率こそやや落として3年連続の打率3割超えは逃したものの、長打力と勝負強さは広島時代を上回る冴えを見せた。30本塁打および100打点を超えたのはそれぞれキャリア初であり、パ・リーグ1年目にして打点王を獲得する快挙も達成。翌年以降は頭部死球の後遺症もあって満足のいく成績を残せなかったが、大ベテランになってから新たな環境に置かれても、すぐさま適応したその活躍ぶりは見事だった。
○門田博光氏(1988年・40歳)
門田氏はプロ2年目の1971年に23歳の若さでパ・リーグの打点王を獲得すると、その後も1981年と1983年の2度にわたって本塁打王に輝くなど、南海(現ソフトバンク)の主砲として長きにわたって活躍。大ベテランの域に達してからもその打棒は健在で、40歳で迎えた1988年には見事な成績を残して本塁打と打点の2冠に輝き、自身初のリーグMVPも受賞。その活躍ぶりから、「不惑の大砲」の異名を取った。
翌1989年には球団の福岡移転に伴い、長年在籍したホークスからオリックスへトレードで移籍。ここでも前年に比べれば成績を落としたものの、OPS1.000を超える優秀な数字を記録し、主砲としての期待に応えた。続く1990年にも42歳にして31本塁打、91打点という数字を残し、大ベテランとなってからも衰えぬ打棒を見せつけた。息の長い活躍ぶりは数字にも表れており、通算567本塁打は歴代3位の大記録となっている。
○ブーマー・ウェルズ氏(1992年・38歳)
1984年に外国人としてはNPB史上初となる3冠王の快挙を達成したブーマー氏は、35歳で迎えた1989年にも打率.322、40本塁打、124打点という数字を残し、首位打者と打点王の2冠に輝く。1992年には9年間在籍した阪急、およびその後継のオリックスを離れ、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍。打率やOPSは来日後では最低の数字ながら、随所で勝負強さを発揮し、見事に自身4度目の打点王に輝いた。
NPBでのプレーはその1992年限りで最後となったが、先述の3冠王と、同じく1984年に獲得したリーグMVPをはじめ、1度の本塁打王、2度の首位打者、4度の打点王と、NPBでの10年間において多くのタイトルを獲得したブーマー氏。通算打率.317は4000打数以上の選手では史上5位の数字であり、史上最高峰の成績を残した助っ人の一人であることは間違いないだろう。
○山崎武司氏(2007年・39歳)
中日時代の1996年にセ・リーグの本塁打王に輝いた実績を持つ山崎氏は、オリックスへの移籍を経て、2005年に発足した楽天の創設メンバーの一員に。創設2年目の2006年に監督に就任した野村克也氏の下で配球を読むことを意識したこともあり、2007年にその打棒は39歳にしてさらなる進化を遂げる。30本塁打と100打点を超えたのはともに11年ぶりであり、自身2度目の本塁打王と、自身初の打点王の2冠に輝いた。
翌2008年も数字こそやや落としたものの、主砲として十分な数字を記録。2009年には39本塁打、107打点と2007年に近い水準の素晴らしい数字を記録し、球団創設後初となるAクラス入りにも主砲として大きく貢献。在籍期間中の通算191本塁打は今なお楽天の球団記録であり、まさに球団史に残る偉大な打者だった。
○タフィー・ローズ氏(2008年・40歳)
2007年に1年のブランクを経て39歳でNPB復帰を果たしたローズ氏は、その年に打率.291、42本塁打、96打点、OPS1.006という圧巻の打棒を披露して健在ぶりを証明。続く2008年もその活躍は続き、2年連続で40本塁打の大台に到達。打点数も前年からさらに20以上伸ばして4番としての重責を果たし、40歳にして5年ぶり3度目の打点王に輝くとともに、チームの2位躍進にも大きく貢献した。
翌2008年は骨折もあって出場試合数を減らし、規定打席到達を逃したものの、打率は前年よりも向上させて.300を超え、出塁率やOPSの面でも前年を上回る数字を残していた。NPBでのプレーはこの年限りで最後となったものの、41歳という年齢を感じさせない打棒を披露していたことは間違いない。