松坂、久保、小谷野、大隣ら… 選手生命の危機からカムバックを遂げたパ選手たち

楽天の久保は3年連続戦力外、育成落ちも経験し1軍にカムバック

○小谷野栄一氏 元日本ハム、オリックス 【パニック障害から北の打点王に】

 2002年、日本ハムからドラフト5位指名されプロの世界に飛び込んだ小谷野。2005年までは1軍と2軍を行き来する生活を送っていたが、2006年に事態は一変。2軍暮らしが続くと、パニック障害を発症し、一時は打席に立てなくなってしまうことも。まさに、選手生命の危機に立たされた。

 それでも戦い続けた。当時2軍監督代行を務めた福良淳一氏(現オリックスGM)の支えもあり、徐々に出場機会を増やしていくと、翌2007年には1軍で113試合に出場。三塁手のレギュラーに定着し、勝負強いバッティングでチームに欠かせない存在に。2010年には全試合に出場、ともにキャリアハイの打率.311、109打点で「最多打点」のタイトルを獲得するなど、大舞台で輝き続けた。グラブ捌きも柔らかく、三塁手のゴールデングラブを3度受賞。2014年オフにFA権を行使し、オリックスに移籍すると、当時1軍ヘッドコーチを務めていた福良氏とともにプレーすることとなった。

 移籍後は怪我に苦しみながらも、ベテランらしいしぶとい働きでチームに貢献。2015年途中から指揮を執った福良監督へ恩返しを込め、「福良さんを男にしたい」と優勝へ意気込んだが、その願いは叶わなかった。16年目の2018年に引退を発表し、10月5日の最終打席では、涙ながらにフルスイング。その様子を見つめる福良監督の目にも涙が映るシーンはやはり印象的だ。奇しくも、福良監督も同年限りで監督を辞任した。

 引退後は、楽天で1軍打撃コーチに就任。今季からは、オリックスで2軍打撃コーチを務めることとなり、GMとコーチという関係性ながらも、福良氏との再会を果たした。

○久保裕也投手 楽天 【3年連続戦力外、育成落ち経験からカムバック】

 最後に、一風変わったカムバック例を紹介しよう。

 久保は2002年に自由獲得枠で巨人に入団すると、2010年には、球団最多記録となる79試合に登板。翌2011年には、67試合で防御率1.17、20セーブを挙げるなど、ジャイアンツのブルペンを支えた。しかし、勤続疲労から同オフに右股関節の手術を受けると、翌年にはトミー・ジョン手術を受け、なかなか投げられない日々が続いた。そして、1軍登板がなかった2015年に自由契約。横浜DeNAに移籍することとなった。

 DeNAでは、9試合の登板にとどまり、わずか1年で戦力外に。当時36歳ながらも現役続行を希望し、トライアウトに参加すると健在ぶりをアピール。すると、楽天の入団テストを受けることとなり、見事合格。2017年は1軍で27試合に登板し、復活を果たしたかと思われたが、シーズン途中に右手の血行障害を発症。オフには3年連続となる戦力外となり、リハビリに専念することから育成選手として再スタートを切ることに。

 それでも、諦めることなく投げ続けた右腕は、2018年の5月に支配下に復帰。25試合で防御率1.71と好リリーフを披露し、見事カムバックを果たした。昨季は、9月15日のオリックス戦で、NPB史上101人目となる500試合登板を達成するなど、22試合に登板。球団最年長投手としてチームをサポートした。そんな久保は「松坂世代」のひとりで、5月23日には40歳を迎えた。度重なるケガや戦力外から、何度でも這い上がってきた男の姿は、18年目の今年も必ずやチームの財産になる。

(「パ・リーグインサイト」岩井惇)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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