ヤクルト五十嵐が引退会見「結果が出なかったら引退の覚悟」 決断は8月に入ってから
プロのキャリアをスタートさせたヤクルトで引退「感謝の気持ちでいっぱいです」
キャリアの最後は古巣のヤクルトで迎えたことに「神宮球場でスタンド見たときの光景を鮮明に覚えている。幸せな時間をいただいた。感謝の気持ちでいっぱいです」。本拠地のマウンドへの思いを問われると「青空の下で野球できるのは気持ちよかったです。絶景でした」と語った。
今後については「ゆっくりしたいところですが、何か役に立てるように。夢中になれるようなことが見つかればうれしいなと思います」と見据えた。
五十嵐は1997年のドラフトで2位指名を受け、敬愛学園高(千葉)からヤクルトに入団。リリーフとしてブルペンを支え、2004年には最多セーブのタイトルを獲得。当時日本最速タイの158キロをマークして注目を集めた。石井弘寿(現ヤクルト1軍投手コーチ)との救援コンビは「ロケットボーイズ」と呼ばれ、球界を席巻。2010年には海外FA権を行使してメジャーリーグに挑戦し、メッツなど3球団で3シーズンプレーした。
2013年に日本復帰を果たし、ソフトバンクに加入。2014年にはリーグ最多44ホールドを挙げた。2018年限りで戦力外通告を受けると、古巣のヤクルトに復帰。2019年は45試合に登板して復活を印象付けたが、今季はここまで1軍登板がなかった。日米通算905試合に登板し、70勝41敗、70セーブ、167ホールドをマーク。日本での822試合登板は歴代7位を誇り、現役では最多。