藤川球児は「とてつもなかった」 元女房役が語る人間離れした軌道と右腕の本音

阪神・藤川球児【写真:荒川祐史】
阪神・藤川球児【写真:荒川祐史】

「打者がストレートをことごとく空振りするのが楽しかった」

 捕手はまだしも、藤川のストレートを毎日捕っているうちに、軌道に慣れることもできるが、打者が1試合に1度きりの対戦で対応するのは至難の業だった。野口氏は「球児とバッテリーを組んでいて、バッターがストレートをことごとく空振りするのが楽しかった」と振り返った。

「あえて球児のストレートの軌道を、他のものに例えるとすれば……」と野口氏が引き合いに出すのは、ホイール式のピッチングマシン(回転する2つのタイヤの間からボール放つタイプ)だ。「タイヤを縦に並べ、下側の回転数を上げると、強烈なスピンがかかり、似た軌道が生まれる」と言うのだ。藤川のストレートは、文字通り“人間離れ”した軌道だったわけだ。

 それは「球児の体の強さ、重心移動、リリースのタイミング、腕の振りなど、全てがぴったり合って初めて可能になったものだと思う」と野口氏。「球児はストレートを投げる時、中指と人さし指を付けて握っていた。それも要素の1つだったのではないか」と分析する。

 マウンドに上がった瞬間、相手が反撃を諦めるほど完璧なクローザーぶりを見せた藤川だが、野口氏はその裏側の本音を聞いたことがあった。05年にジェフ・ウィリアムス氏、久保田智之氏と共に勝利の方程式「JFK」を初めて形成した時、藤川の役割は7回もしくは8回を担うセットアッパーだった。当時、藤川は試合の最後を締める久保田氏の姿に、「あのポジションは、僕にはできない」と漏らしていたという。

 実際には、本格的に抑えた07年に早速、リーグ最多の46セーブを挙げているが、野口氏は「抑えに転向するにあたっては、相当覚悟が必要だっただろうし、ずっと葛藤を抱えながら務めていたのだと思う」と見る。

 名球会入りの条件である日米通算250セーブにあと「5」と迫りながら、潔く身を引く決断をした藤川に、野口氏は「引退、おめでとう」と伝えたいという。「メジャーリーグでは、抜群の成績を残し、素晴らしい野球人生を送って、惜しまれながら引退する数少ない選手にだけ、最大級のリスペクトを込めて『おめでとう』という言葉を贈ると聞きました。球児こそは、その言葉にふさわしい」と説明した。“火の玉ストレート”の軌道は、時代を共にした選手たちとファンの胸に永遠に残る。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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