「ボールよ、飛んでくるな」…江夏の21球の裏にあった広島OB高橋慶彦の揺れ動いた心
衣笠氏の語り継がれる名言「俺も一緒に辞めるから」
しかし、日本シリーズ、それも日本一が決まる瞬間。高橋氏は満塁になった時、古葉監督が後続の投手を準備させていたことも、内野陣がマウンドに集まったことも覚えていない。後からニュース番組などで知った。
「マウンド上で集まった時に『スクイズあるぞ!』というような話があったようだけど、俺、覚えていないんだよね。あとは、衣笠(祥雄)さんと江夏さんの2人だけの会話があったらしいんだよね。輪の中では言わず、衣笠さんだけ、良いタイミングで江夏さんのところに行ったのかもしれない。『辞めるときは俺も一緒に辞めてやるから』って伝えたと聞いたんだ」
高橋氏は仲間を思う熱い言葉をかけた衣笠氏と、その言葉に奮起した江夏氏のことを今でも誇りに思っている。
「俺なんて、そういういい先輩がいたから若いとき、自由にさせてもらっていた。今のカープの連中がかわいそうなのは、若いのに責任を背負わせれてしまっていること。鈴木誠也とかもそうだよね」
とはいえ、第7戦の9回裏はもう重圧に潰されそうだった。無死満塁から、江夏氏は近鉄の代打・佐々木恭介氏を空振り三振。続く石渡茂氏のスクイズを見破り、カーブの握りながら、ボールを外した。三塁走者の藤瀬氏がタッチアウト。そして石渡氏を空振り三振に仕留め、ゲームセット。歓喜の瞬間が訪れた。
佐々木恭介氏とは高橋氏がのちに阪神に移籍した時、1軍打撃コーチとして招聘されるという巡り合わせもあった。佐々木氏はこの試合、ファーストストライクを見逃し、三振に倒れていたせいか「初球のストライクは絶対に打ちに行け!と言っていた」という。また、高橋氏は古葉監督との後日談で、キャンプで江夏氏がカーブでスクイズを外す練習をしていたということも聞いて、驚かされた。
もしも、あの時、遊撃に打球が飛び、失策していたら……広島の日本一はなかったかもしれないと思うこともあった。
「一念岩をも通すということわざ、すごいなと思う。本当にボールは飛んで来なかったわけだから。(失策の汚点が)歴史に残ってしまうからね。日本一の立場が近鉄と反対になってもおかしくなかった。野球の流れはそういうこと。絶対に勝ち切らないといけない」
リーグ初優勝した1975年はまだ“蚊帳の外”だった高橋氏。ただ、他の選手たちはその年の日本シリーズで悔しさ1勝もできず終わっており、勝利への執念を燃やしていたと感じていた。
「レギュラーを獲って、日本シリーズの時は自分がメインになれるわけだから、最高だった。やっぱり、野球はグラウンドの中で、レギュラーを張ってやるのが1番楽しい。江夏さんの後ろで守っていた事は光栄だったね」
江夏の21球の裏には揺れ動いた22歳の心があった。
(Full-Count編集部)