「4連敗だけは嫌だな…」 飯田・川崎の燕コンビ、今だから語れる92年日本Sの真実
チームはお祭りムードも4番・広澤氏は「緊張した」
飯田氏は92年のシリーズで、全7試合に「1番・中堅」で出場し、30打数11安打、.367の高打率を残した。レギュラーシーズンの優勝争いの真っただ中では「初めてプレッシャーというものを感じた。バッティングがダメになって、全然当たらなかった。緊張ってこういうことなのかと、その時初めて知った」と言う飯田氏だが、日本シリーズは「“おまけ”で“お祭り”という感覚。全く緊張しなかった」。
川崎氏は「当時のヤクルトは飯田さんをはじめ、目立つことが好きな人が多かったんですよね。ギャオスさん(内藤尚行氏)、高津(臣吾=現ヤクルト監督)さん、古田(敦也氏)さん……池山(隆寛氏=現ヤクルト2軍監督)さんなんて、『ワッショーイ!』って常に言ってそうだった」と証言する。
ただし、飯田氏によると、4番を打っていた広澤克実氏だけは「緊張した」と漏らしていた。「やっぱり4番のプレッシャーですかね? 僕が4番を打ったのは少年野球の頃くらいだから、わからないですけど」と笑う。
日本シリーズの記憶は、ファンの胸にも、出場した選手、傍観を余儀なくされた選手にも、深く刻み込まれている。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)