代打を告げられそのまま帰宅、監督と口論も… “奔放”ホエールズ彩った個性派たち
ホエールズの魅力「選手の好きにやらせてくれるチームだった」
「ホエールズの魅力? はっきり言って、選手の好きにやらせてくれるチームだったということでしょう。監督、コーチに対しても、自分の意見が通らないと平気で怒りをあらわにする選手が結構いた」と懐かしむ齊藤氏。
代打を送られたことに激怒した選手が、監督に向かって「どうして俺を替えるんだ?」と食ってかかりベンチ内で言い合いになり、「そこまで言うなら行って来い!」と打席へ送られ、ホームランを打って帰ってきたこともあった。外国人内野手のフェリックス・ミヤーン氏の場合は、代打を送られて監督と言い合いになり、「ゲット アウト! ゴー ホーム!」と怒鳴られると、そのまま帰宅。齊藤氏は「これがプロだ。プロとして生きている集団とは、こういうものだ」と感じていたという。
個性派ぞろいで野武士集団と呼ばれた大洋には、大勝したと思ったら大敗を喫する、浮き沈みの激しい傾向があり、齊藤氏が在籍した17年間で優勝は1度もなかった。それでも「選手たちはチームの勝利のためにも、まず自分のパフォーマンスをしっかりしなければならないという責任感を持っていたし、少々のケガは隠して休まず試合に出続けていた。そういう選手を見に来ているファンもいた」と証言する。
一方で、当時毎試合をテレビで全国中継される唯一の球団だった巨人、関西で絶対的な人気を誇った阪神には、対抗意識を燃やしていた。「言葉は悪いけれど、あいつらだけにいい思いをさせておくものか、とね。われわれより、巨人や阪神の2軍選手の方が知名度、人気があったと思いますよ」と苦笑する。
93年、チームは「横浜ベイスターズ」に改称し、ユニホームやペットマークなども一新。イメージチェンジを図った。齊藤氏は6試合登板0勝0敗に終わり、この年限りで現役を引退した。「大洋ホエールズでなくなってしまった寂しさがありましたね。僕にとっては、球団がなくなってしまったような感じ。同僚の選手も年下ばかりになったし、そろそろ潮時かなと……」。ホエールズとともに生き、ホエールズを象徴した男は、ホエールズの消滅とともにユニホームを脱いだのだった。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)