保留選手名簿から外れても、退団とは限らない!? 自由契約から残留した選手たち
日本人でも坪井や多田野ら自由契約から再契約を結んだ珍しい例も
また、日本人選手でも自由契約として公示された後に残留が決まった珍しい例もある。2006年、日本ハムの坪井智哉は坐骨神経痛、右肩の故障などで25試合の出場に留まりシーズンオフに戦力外通告を受けた。12球団トライアウトを受けるも獲得球団は現れなかったが、年俸9000万円から大減俸となる2000万円で日本ハムと再契約。翌年の2007年シーズンは開幕スタメンを勝ち取った。
2010年の日本ハム・多田野数人も戦力外から再契約を果たした1人。同シーズンはわずか2試合の登板に終わりオフに戦力外通告。坪井と同じく12球団トライアウトを受けたが他球団と契約できずに日本ハムと再契約。近年では2018年、日本球界復帰1年目で36試合に登板した巨人の上原浩治がオフに左膝のクリーニング手術を受けて一度は自由契約として公示された。だが、12月に巨人と再契約して翌2019年に現役を引退した。
この日発表された保留選手名簿では、ソフトバンクのムーアや西武のギャレット、阪神のスアレス、ロッテのチェン・ウェインといった今季活躍した面々が外れている。各球団は残留を望んでいると見られるが、果たして。今後の去就の行方が気になるところだ。
(Full-Count編集部)