松井秀喜の“日本ラスト弾”招いた痛恨ミス… 元燕捕手が思い出す古田敦也のカミナリ

ヤクルト、西武、日本ハムでプレーした米野智人さん【写真:新保友映】
ヤクルト、西武、日本ハムでプレーした米野智人さん【写真:新保友映】

ヤクルト、西武、日本ハムでプレーした米野智人さんが振り返る現役時代

 かつて「ポスト古田」と呼ばれた元捕手はいま、東京・下北沢で自然食材にこだわったカフェを経営している。ヤクルトや西武、日本ハムでプレーし、2016年限りで現役を引退した米野智人さん。17年間のプロ生活で、特に2人の存在が強く刻まれている。自らが手本にした古田敦也氏と、同学年の青木宣親外野手から学んだ“気付き”の大切さは、いまにも生きているという。

――「ポスト古田」という呼ばれ方は、どう感じていましたか?

「嬉しかったですね。古田さんは子どもの頃から見ていた人で、まさかそんな人と一緒に野球ができるとは思ってもいなかったですから。僕が18歳でヤクルトに入団した時、既に球界を代表する方だったので、争うというレベルでもないし、子どもと大人ですよ。そんなすごい人の姿を見て学べるし、聞いたら教えてくれるし、ものすごく恵まれた環境で野球ができる。その呼ばれ方に、プレッシャーを感じるという状況でもありませんでした」

――その古田さんから教わったことで最も印象に残っていることは?

「僕が3年目の2002年、東京ドームでの巨人戦。その年限りでチームを去る松井秀喜さんの日本最終戦でもありました。僕がマスクを被っていたんですが、松井さんが日本最終打席で50号ホームランを打つ2球前に、絶対に捕れるキャッチャーフライを落としてしまったんですよ。ピッチャーは五十嵐亮太さんで、全球まっすぐ勝負でした。試合後に古田さんに呼ばれて『あれはキャッチャーとしてダメだ、プロ野球選手としてあんなレベルではピッチャーに申し訳ない』と。言われたことはショックで情けなかったんですが、同じポジションでまだまだ現役の選手が、どうでもいい人には言わないなと思ったんです。期待してくれているんだと、とても嬉しかった」

――励みにもなったわけですね。

「その日は最終戦セレモニーがあって、ヤクルトの選手もベンチ前に一列に並んだ時、古田さんが横に来て『ジャイアンツに勝てないと、優勝はないからね。強いジャイアンツに勝つことが重要で、ここに勝てるような野球をしないといけない』と。その時も、こんなことを僕に言ってくれるんだ、期待してくれているんだと。頑張ろう、レギュラーを取ろうという気持ちになれました」

いま現役の選手に伝えたい思い「思っているより先は長くない」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY